「腰を反る」ことや「チカラを落とす」ということからも一旦離れてみて、観えてきたものがある。


肥田式が間違っているなどということでは毛頭ない。 ただその言い回しに則って行っていた私の運動が未熟でありシンの理解が浅かったというだけなんですけれどもね。

今の私の体観とコトバで中心姿勢のとりかたを表すならば、「奥の院に入る」 である。肉体の上下前後は無視できません、腰はたしかに反るのですし、腹は伸ばします。 ただ、ほんとうの焦点はそこいらではない。そのカタチの中のカタチのないホール、カテドラル、涅槃境に入っていくのである。肚だけではなくハート中丹田もアタマ上丹田もです。そのアテとして肉体の姿勢の感覚があるけれども、それはあくまでもアテである。そこからなにも頼るもののないスペースへ飛び込むのだ。
こうした言い方が、たちまちボディワークとしてのリアルさに欠け、観念的な雰囲気の話としか聞こえない人もいることでしょうが、腰の反りかたや脱力のコツといった「アテ」の話はこの記事のテーマではありません。さらに話をすすめます。


腰が入るということは、「陽」「動」である。瞑想や気功などは、「陰」「静」で、内へ内へ、内なる宇宙へ向かいます。静けさと注意を要します。内へ内へと向かうとき、やたら腰を入れることは適切なわけではない。他のワークが、「背骨を真っ直ぐにして」とは言っても「腰を反る」とまでは語らないのは、陽的動的ワークではないからだ。肥田式に武道の要素がぷんぷんあり、かつ短時間の修練で済むワケは、やはり腰の使い方が他のワークとは一線を画すからであります。

んだども、肥田式がたんなる体育ではないのは、たんなる陽的ワークではないからです。腰はね、反るどころじゃないんだ。グルンと1回転するかのような勢いがあるんだ。中に入るなら。