その2 ふりかえらざるをえない




庭で立禅をしていましたところ。
普段は徘徊中警戒心たっぷりで絶対に人に近付こうとはしない近所の野良猫が、私の存在に全く気づかないまま、すぐ目の前までやってきました。1メートルと50センチほどのあたりまできて、ノラは俳人を察知しました


ギクッ ピタ。



微動だにしない人一人。
猫一匹。

スズメチウチウ。

ウグイスホウ法華経。


…しばしのあいだ植芝盛平と塩田剛三の立合の如きの静寂(笑)がつづきましたが、ノラはふと「んーと‥おや?あっちに何かあるねえ、どれどれ、あっちに行ってみよう、よってアタイの目的地は変わる、よってフツーにここを去る。他意はない」といったテイにて、踵を回らせて去っていきました。

かつて東京の公園で蝉が私の体にとまったことをおもいだしましたが。

ノラは二年前に庭で見捨てられて鳴いていた仔猫の親だろう。私は当時に想いを馳せる。

で、今日の新聞の読者投稿覧からひとつ、抜粋無断転載させていただきます。
「知的障害のある息子の母となって10年になる。振り返ると理不尽な思いもたくさんしてきたが、それと同じぐらい楽しいこと、幸せなこともたくさんあった。 3歳を過ぎても言葉を話さない息子だったが、今ではすっかりおしゃべりになった。「ママ大好き」と一日に何度も言ってくれるのだが、外出先でも繰り返し大声で言うのだ。ある時つい恥ずかしくなって、「1回言えばわかるよ」 と注意すると、「僕は、《ママ大好き屋さん》だよ」という。息子の思いをわかってあげられていなかったと猛省し、息子をぎゅっと抱きしめた。」



俺も枯木のように突っ立ってばかりいないで、たまにはムスコをシゴいてやるかなあ。







中心に かえらざるをえない



いくせんまんねんのたびにでて いづものくにへおりたることなしに いつわりのたびをしか そのたびにはなし よりどころあるとわかれば いつものところにもどるなりしか なりしか



引力に身を委ねてじっとしている石でも、投げれば遠心力に身を委ねて飛んでいく。重力に身を委ねて戻っていきながら。

初期の宇宙飛行士の何人かは、宇宙から地球を見て、なにか強烈なことを感じ、帰還してから宗教者になったといいます。
なんだかそれは、臨死体験をしたのち生還した人のその後のエピソードと似ていませんでしょうか。
肥田春充は無限の力に通じた後、非科学を徹底的に否定してきた自分を省みたといいます。宇宙飛行や体外離脱の体験とどこか被るものがあったのでしょうか。






ダルシムじゃねーし



太陽と月と地球の引力のまつりあいがある。 間吊り 。真吊り。 おまつり。和っしょい。

神輿の担ぎ手の肩は、股関節に相当するでしょうかね。担ぐ力は、第一チャクラの力ですかね。担がれる神輿の重心は。神輿の鳥居は。その中は。屋根は。頂の鳳凰は。 なんでしょうかね。ヒトはカミに似せてつくられたといいますけどね。

一年に一度の御祭りのためだけに生きてるようなもんです、と豪語する人が沢山いる地域がよくありますね。

♪二人を夕闇が 包むその窓辺に 明日も素晴らしい しあわせが くるだろう
(加山雄三、曲名わすれた)

しあわせそうだなあ。









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