雨に負ケテモ 風に負ケテモ



推測だけど。肥田さんは、腰を丸める第四動を、ガンガンガンガンやってやってやりまくってるうちに、体がついていかなくなって、それでもまだガーンとやった(横隔膜を下げる体力すらもう無かったけどまだやろうとしていた)ところ、はからずもビーン!と腰反りの型が生まれた。中心が身心を貫いた。のではないかな?。

ほんとにね、肥田式は随意運動じゃないですよ。かといって不随意にまかせきったような活元運動ともちがうし、やぶれかぶれの玉砕ともちがうし、正中心とはほんとうに絶妙の境地だとおもいます。

正座して、まともに姿勢をとりもしないで、ひたすら無気力に脱力して(ヤル気、生きる気ほぼゼロへと向かう)、首のちからを抜いて頭を前に垂れきって、さらに胸のちからを抜ききると、横隔膜はものすごい勢いで体の奥に食い込んでいきます。ハラがべコーンと真っ二つに凹みます。
ここまでの収縮を、意図的な呼吸動作でやるのはなかなか難しい。やればやるほど(意図的になればなるほど)凹みが浅くなる。

ヤル気生きる気は満々、でも全然リキんでいないときは、逆に姿勢がバキーンと反れるのですが、カタチは正反対であってもこれもまた同じく不随意の大緊張力なのです。ですから下手に意図的にやろうとしても不純な(反りきらない)姿勢になる。


ヤル気満々なのに身心のコントロールを手離しているって、どういうことだとおもいますか。自暴自棄でもないのに自分がどうなったって構わないっていうね。いいよね。そしてこれってゴールじゃないよね。誰だってこのスタート地点に、今すぐ立てるとおもうわけさ。





ちぶる整体とシンタイコウの真価



少し以前に、日本の匠の技を世界に紹介する的なTV番組を見てました。美容師がイギリスでその高い技術を披露してました。 なんか、80年代あたりでは考えられなかった光景でした。当時は日本といえばエコノミックアニマルであり、クールジャパンなどという言葉はなかった。電車で大人がコミックを読んでいるオカシナ国、自国の宗教観を語れない人達、水と安全がタダで手に入ると思っている甘い考えのボンクラ、みたいなことばかり言われてましたね。

さてその美容師さんの技術は感心されていたのですが、最後の『肩もみサービス』だけは同業者に否定されてました。『客を甘やかしすぎだわ』と。さすがにそれは美容師がやるべき仕事ではないというプライドなのでしょう。ちなみに日本人のマッサージ技術はオーストラリアでは一番評価が高いよと、オーストラリア人に言われたことがありますが。

ところがマッサージは、その技術が高ければ高いほど、相手を依存体質にさせてしまうというジレンマが生じます。客商売としての技術と割りきるならば万々歳ですが、真健康へといざないたいのならば、行き止まりに突きあたる。

シンタイコウが進めば進むほど、自身は肩凝りや腰痛とは縁遠くなってゆき、やがてはそういう身体でいることはどういう気分なのか、よくわからなくなってくる。 すると、自然に相手に寄り添える気持ちが、自然に欠落してきてしまう‥。

肉体いじりではなく、外気功でもなく、空氣力を共振できるならば、ジレンマなど生じず、嬉し嬉しの行為になります。ちぶる整体営業中にもそういうことはありました。相手の表情や私が感じる喜びの奥深さがちがう。 依存リピートじゃなく、シンテンするようになる。

空氣力の本質は個別なものではないから、エネルギーを吸うとか吸われるとかいうことにはなりません。これだ、これをするために私たちはここにいるんだという根源的なよろこびしか感じません。






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