ほんとうは(ほんとうに)。



シンタイの中心軸を、一直線のように感じる場合と、蛇行しているように感じる場合がある。
一直線に感じるのは、おそらく、重心がスットンと落ちる感覚だろう。身体のシンタイ(中心軸)は蛇のようであるとかんじる。

仙骨のウラと、胸骨のウラと、頸椎のウラには、虚空のような、要所がある。肉体的にはそこいらには腺と呼ばれる器官が備わっていたりするから、現実問題としては免疫機能に深く関わっている。

前々記事に書いた『空氣力』とは主にここいらに満ちる。じつはこの空氣力のほうが、肉体よりも実態のリアリティは強いというか、潜在エネルギー密度は高い。心とは脳であるとかいう脳科学者の理論など私にとっては筋トレ以上にどうでもいい話です。心とは空氣と肉体の狭間で生まれているイシキである。

私は、ときどき、おもうことがある。 修行、ボディワーク、あるいはスピリチュアルの勉強とか、あるいはそんなことに限らずすべての人のそれぞれの生き方というのは、その自我が何を望もうが、努力しようがしまいが、ほんとうのところは何も変わらないだろうと。自我は自分の選択で何かをやってる気になっていても、ほんとうはそうではない。

私のシンタイが、日々、どうにかなっているのは、私が努力しているからではなく、つまり私が懸命にシンタイコウをしてるのではなくてさ、『ただなるようになっているだけ』なのだとしかおもえないときがある。

空氣(真氣)ははなっからいろいろ知っていて、知らないのはむしろ私(自我)のほうである。たとえば私がいつ死ぬかとか私は今わからない。でも真氣生命はわかっているかもしれない。

真氣と私が別々のモノなのでもありませんが。爆発的なよろこびとか共有してるみたいだし。つーか『私』ってのは『部分』なのだ。『私の中心力』などというものはあり得ないのはつまりそういうことだからなのだ。






マボロシの第11動‥?



簡易強健術第六動は、腕をふり下ろして拳を寄せた大胸筋を緊張させますけれども。

まるでそれと似たような要領で、加速度落下でバックベントと同時に両肘を臀部に寄せて臀部を大緊張させますと、あら不思議、これは幻の第11動、大臀筋運動と言っても過言ではないものになるではありませんか!。

亡き肥田春充氏に御伺いを立てるわけにもいかないし、勝手にそう命名するわけにもいきませんから、あくまでもシンタイコウとして紹介しますけれども、これは強烈である。 仙骨への刺激も半端ない(これかなり重要)。

これさへ出来れば‥他の動作だって、レベルUPするとおもうんだ。中心に一番近い筋骨の錬磨ですからね。そしてこれは一見して筋力をすごく鍛錬してる人でないと出来ない動作のように見えて、じつは全然そんなことはありません。やれるか、やれないか、それだけの問題です。 たとえ私がこのエクササイズを3ヶ月サボったとしても、まるで出来なくなったりはしないとおもいます。てゆうか『サボる』っていうことはそもそも起こり得ない。ほんの短時間の、とても気持ちのいい動作を、誰がサボりますか?

そういえば先々月にコチラへいらしたSさんは、シンタイコウ式強健術とバックベンドに感銘を受けて帰られましたが、今でもご自分で練習してますでしょうか? あのとき私が見せたバックベンドが基本ですが、より肥田式に寄せたことでほんとうに凄いものになりましたよ(笑)。キヨミさんや愛さんにも見せたいものですな、お陰さまでここまでシンカしましたと(笑)。もとより三宅先生にも、勝手に肥田式をいじくっているうちにとうとうここまでなりましたと(笑)。

それを出来るようになりたい!とおもうかたはいますでしょうか?よければレッスンに応じます。思いが真剣なら出来るようになるでしょうし、一度動作が出来さえすればあとは自分で日々気持ちよく、自分自身を磨いてゆけることでしょう!。レッツドゥシンタイコウ。レットイットビーイング。








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