『紡ぐ』


という名の日本の文化芸術をPRするプロジェクトの広告写真が新聞の一面に出ていました。文楽人形遣いの人と、日本舞踊の人と、歌舞伎役者と、能楽師が並んで正座をしておりました。
パッと見たとき、なんとなく、誰よりもオーラが前面に出ていないのだけど、抜群に姿勢が決まっている人が右端にいました。その芸能の特性なのでしょうか。そしてその道の達人でしょうか。


秘すれば花なり
(世阿弥)


そういえば、私が新聞紙を寸突きするエクササイズをするキッカケになったのは、テレビで、能楽師&ロルファーの肩書を持つ人が、1枚の新聞紙をエイ!と発声しながらパンチで破るというエクササイズを紹介しているのを見てからのことです。 はじめは同じようにやりました。だがすぐ簡単に出来るようになったので、枚数を増やしたり、パンチのストロークを縮めたりして難易度を上げていき、独自のやり方になったのでした。おもえばフラのバックベンドも同じような流れでアレンジしていきました。

ただし。肥田式強健術をアレンジした動作については、ニュアンスが異なる。強健術が簡単に出来るようになったから難易度を上げたというのではない。コッチのほうが良くね?的なシンタイの要求に従うシンタイコウのコンセプト通りではあるものの、私は簡易強健術は未だに出来ていない。やってもいないけど。

そういや肥田さんは固い石の上で体を石に食い込ませながら座禅をしていたらしい。また逆に宙にも浮いた!?らしい。そんな人物の編み出した術をそうやすやすと会得できるわけがないのである(笑)。

中心は中心をするに非ず。中心に中心せらるる也。
(肥田春充)






シンゴ!



むかーしむかし(30年以上前)のことじゃった。 ある少年が、生まれてはじめて麻を吸ったそうな。すると少年は、体の力か抜けて、重力にべったり貼り付いたように動けなくなったそうな。だが首はスプリングみたいに動いて、頭だけビヨンビヨンと揺れていたそうな。面白い感覚だったみたいよ。


頭と体がやや別物になっているのは、現代人のフツーの感覚かもしれません。けれども、客観視というものにしても、頭を少しずらして頭で身心を観察することは、シンの客観ではない。頭(脳)も体である。客観されるべきパーツである。

頭頂より上に意識がなければ、腹から胸から頭までが一氣通貫していることを客観認識できにくい。腹で重心をとり上体はそれに従えば、重力とのズレはなくなるけれども、くわえて引力ともビンゴするとなると、第七チャクラは開いてより上のチャクラとつながる。

おてんとうさまが見ているよ。と云う躾のしかたは今現在でもあるのでしょうか。みているのはおてんとうさまですからね。教師や親や風潮ではありません。そいつらだって、そいつらこそ、見るものでなく見られるものである。





前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2020年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
アーカイブ
カテゴリー