ほんとうは、腰を緊張させて中心力をつくるのではなく、中心力で適度に腰が緊張するのだ。

ですが、フツーの我々は、身心が固く、氣も真氣も詰まっていがちなので、そのほんとうの動作を直ちにできずにいます。ですからまずは逆からやるしかない。東洋的ボディワークの『鍛錬』とはじつのところ『リハビリ』といってもよいんじゃないかとすらおもう。


また、肥田式簡易強健術の特徴である『加速度落下』は、じっさいのところ全然簡易ではありません。加速度落下に対しては本能的恐怖による身心の防御反応が起こってしまうのがフツーです。強健術本動作で『下肚に氣を込める』などといえば聞こえはいいが、おそらくほとんどの人は、下肚で急ブレーキをかけているだけである。その圧迫感や力感は、中心力ではなくブレーキ力である。
しかしまた繰り返しになりますが『ほんとうの動作を直ちにできない』フツーの我々は、まずはそうしていろいろとリハビリをしていくしかないといえます。やらなきゃ気づけもしないのですから。

いろいろやって、やって、やっているうちに、フッと、『何もしていない』ゾーンに入ります。姿勢とか、呼吸とか、緊張とか弛緩とか、パワー感とか、ぜんぶなくなります。中心(を求むる心)もなくなります。
無感覚、ではありません。これが答えだという絶対的な確信感とか、とてもなつかしいふるさとへ帰還したかのような安心感みたいなものを伴っています。無力、でもありません。止まらない力はえてしてくぐもったパワー感はありません。『私の力』というくくりにはおさまっていない。たとえるなら財布に10000000円入ってるとかじゃなく、全宇宙の財産をいつでもテキトウに使えるかんじです。そういえば常に財布がスカスカな私ですが、、ボディワークに限らず経済面でも中心力を実証していきたい所存であります(笑)。


そしてまた。ニセ?の鍛錬(リハビリ)をさせていた力もまたしかしもともとは中心力、その恩恵だったではないか!と知る。
扉が開かれ、経験の輪は閉じられてゆく。