土地とボティワーク

六茫星構造と、オリンピックの女子パシュートを見てミツバチの巣とミツバチについて、思い出した

ニホンミツバチはアメリカミツバチに比べて小さいが、チームワークが優れているらしい。なんてこった、日本人の国民性というのは、どうやら人間に限ったことではない。これはつまり、

土地(場)にそういうエネルギーがあるからして、そこに住む生物にそういう作用があるのではないでしょうか。そういうエネルギーってどうゆうエネルギーかって、それは、個の力というより合気とかそういうチカラ。
日本の肚はどこでしょうか。富士でしょうか、近畿あたりでしょうか。 琵琶湖と淡路島はなぜあんなにも対称的な形をしているのでしょう。四国の海に鳴門がありますけどあれはなんなんでしょう。いい感じに腰の入った右向きの龍みたいな日本列島。出雲は仙骨ですかね。

しかしミツバチは、イルカやネコに負けず劣らずのスピリチャルな生物だとおもわれる。
ある日突然に集団で消え失せたりするらしいし、ハチミツの多岐にわたる効能といい…そうそう、桜の花に寄ってくる春のミツバチは、とても可愛いのですよ。





吾輩はシンタイコである

六茫星は肚だけに形成されているわけでもなく、それこそダルマ落としのように、縦にいくつもの三角と逆三角が連なっている。

ケイラクを流れる氣と、この三角氣の何が違うかっていうと、ケイラクの氣はなんとなく「無我」っぽい感覚だが、三角氣は「我在り」みたいな感じ。でもそれはいわゆる「自我」ではない。

神智学でいうエーテル体アストラル体コーザル体とかいうやつと関連のあることかどうかは私にはわからない

「ちぶる整体」では、人の肉体と氣(ケイラクの氣)を診ていたが、「真体功」では今、自身の三角氣を観てケイラク氣を観て肉体を、観る。

人にはそれぞれ特有の幾何学構造をした氣型が形成される(あるいはブループリントとして潜在している)のかもしれず、それは三角や六茫星の氣型とは限らないかもしれないが、ケイラク(エーテル)氣よりもさらに非物質的な、波長レベルの、曖昧ではなく確かな、身体のエネルギーは、ある。オーラとか守護霊とかではない。

もし、「ちぶる整体」でそこまでかかわるとするならそれはもう病気治しではない。整体施術よりも共同作業チックになるだろう。開発作業でしょう


格好をつけた言い方をするならば、本質への帰還とか、そんなことでしょう

…ただしかし、それを求める人がいるのか?
健康や幸せになりたい、スキルやスペックが欲しい、人なら沢山いる。しかし「波長になりたい」人がいるかどうかは…わからんもんな(笑)

幾何学の氣よりもさらに先にはまた別の次元が展開しているのかもしれないしな。
しかしこんなブログを定期的に読んでおられる(推定二十数名位だろうか)方々は奇特な方々である(笑)。




どこまでも落ちてゆく

何もしない何もしないといいながら実は何かをしている私(笑)が気づいたことがあります

姿勢(肚)がある程度決まって重心がある程度落ちても、さらにそこから限りなく落ちシロがあるということです。かつての自分よりは全然力の抜けて氣の通った身体であった近年ですが、その「ある程度」の落下身体からの動作はしょせん「ある程度」のもの。以前より何かをしなくなった、という相対的なものでしかありませんのです。

ただ座るもしくはただ立つ。そこでビッとかビーンとかいう体感がありそこから動作したら氣感力感があるもんだから、それをやる。それは別に悪くはないが、身心脱落脱落身心無限の力、とはいわない。

ただ立つ。ビーン。それは到達点でも何でもなく、落ちる縦軸に終わりなど見えない。それは底なし沼のようでもあるからして、つい「何かをしなければ」というエネルギーが、ある程度のところで身体をG軸に合わせているのです。


精神的な物言いでいうなら、「体得したい自分」、が実は居るのでした。
「無限のチカラを体得したい自分」。これは完璧な矛盾です。 神秘体験だとかある程度の中心力、エーテルレベルの氣、そんなものは、体得の範疇でしょう。

ただ立つ。そこから限りなく落ちてゆくのは、体得感など消失するような体験です。ですから体得したい「自分」が先行しているかぎり、その体験をすることはできないのでした。鍛練や修行を否定していても私は体得をひそかににぎりしめていた。ま、コソドロみたいなもんですな。





真体功 ノーG(無重力)スポット

身体を関節ごとに、ダルマ落としみたいに除けていったとします。足、スネ、モモ、骨盤、腰、胸、首。
途中でダルマ(頭)が転ばずに立っていられるような姿勢(中心軸)をとれているか。ただ立っているときはもとより、動作中でもそうであることができるか。ということですが、

それは物質肉体の位置どりよりもまず重心の問題で、身体の重心がまっすぐ真下に落ちていることが肝心です。直立していれば両足の間ですが、複雑な動作中はそうとは限りません。だからといって重心を上げては何の優れた動作も出来ません。
ダルマ落としと違って身体は瞬間瞬間瞬間瞬間に補正ができます。補正のよりどころは引力ですがもしかすると「反重力」かもしれません。それはさておき、身体が在るべき状態は脱力。明け渡し。です
自律性のある脱力。

ま、どうでもいいけどリアルボティワークをするにあたってはいちいち何か考えながらやれないですし、理論とはしょせん「あとから整理したもの」。それに第一、頭で重心をとらえようとすれば、そうですたぶん、頚椎一番二番はズレるのです。





真体功のGスポット

頚椎一番(チツ)と二番(亀頭)がサックリはまっていれば、脳下垂体からは快感OK物質が分泌され、身体は涼感もしくは温感が生じ、整体的にはこれだけでかなりの不調が改善されてしまう。

ちぶる整体では、旧式のカイロプラクティック的な、骨をグシャッと矯正するような荒々しい手法はとらない。氣が元であるからざぞ。氣でチンコマンコ(頚椎一番二番)をGスポット(かみあう所定の位置)に誘うだけでいいのである。 ちなみに肩甲骨はキンタマです。

真体功、ボディワークにおいてソコを調整するには、ちょっとしたコツがある。
頭で身体をいじらないことである。つまり頭の考えで身体を操作しないことである。

頭だってそもそも、体の一部です。「頭と体」なのではありません。
なぜ頚椎一番二番がズレるかって、それはおそらく往々にして現代人は、純粋な欲求と頭で考えることが一致しないことばかりをしつづけるからだと思います。

頭の指令からの身体の鍛練や修行をしていたって、肚はいつまでたっても培われません。




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