六茫肚について、先人の誰かしらが既にそういうことを伝えあらわしているはずだとおもい、調べ事をしてみました。

行き当たったのは結局、神秘学とか最先端の科学とかでしたが、根底では人と人の意識はもとより、すべてはつながっておるのだなという印象をあらためてもちました。

が、「知」のレベルでそんな情報を得たところで、それは肚そのものの実感とはまた違う。


「なにもしない」「ただ在る」ことで、「普遍」と同調するのは当たり前のことである。スゴイとかエライとかいうのとは違う話です。でも、(スゲー!!)っていう感動もあるわけですよ実際は。普遍ってスゲー!みたいな。

普遍をマコトと言い換えてみましょう。
マコトに参入するといふことは、ウソは吹き飛ばされたり洗い流されるわけであります。何がウソで何がマコトかって、それはオノレや世間の願望の決めることではないのです。モチロン、ヒトが捏造した神の決めることでもないのです。

…でもこうゆうことを頭や心で思想されてしまうと哲学や宗教になるので、肚とか真体功とかちぶる整体ではなくなってしまう。 ので言葉での表記はソコソコにしておく。


次回予定「カルピスと青汁をミックスすると美味い」