特別な時間を設けて特別なことをすることだけを修行とかボディワークとは言わないように、特別な真言を唱えるとかじゃなしに、単なる日常の話言葉に、ボディワークが潜む。

よくあるスピリチュアル系的な教えの、「ありがとう」を連発するだとかプラス発言だけせよとかいう話ではありまへん。


音です。母音です。母音をしっかり発する言葉というのは、身体に、氣に、存在に、ボディワークをしているのと同じような作用があるとおもう。
日本語は一音一音に母音を発します。これはすごくいいんじゃないかとおもう。 ながらく欧米にコンプレックスを抱いてきた私達日本人は、欧米の言語をカッコイイと感じたりもしますけど、日本語なまりの英語は、ダサいとは言い切れないとおもいます。なぜなら、かつての漢語はたくさんたくさん日本語とハイブリッド化して、日本独自の言葉として創造されてきたという史実もあるからです。今ドキは欧米人が漢字のタトゥを入れるとき、「中国語ではなく日本語としての意味をもつ漢字、コトバで入れたい」という注文をつけるそうです。
でもこういうのってコトバだけの話じゃなくなってきますけど。

話がカルチャー的なことにそれてしまいました、戻します。
母音をしっかり発すると、なんといいますか、身体がスベらないのです。 肚とすごく関係があります。