重いコートや革ジャンを敢えて着たい年頃がある。
鎧を纏っているかのような気分。いっぱしの大人になったような気分。ブーツなんかもそうだ。
ヒトの、根源や本質から敢えて離れようとするプロセスは、根源へ還るためのプロセスのかたわれかなもし。


大乗仏教や儒教というのは何だか「学習」というニュアンスを私は感じてしまう。徳だとか知識だとかを積み上げ人格者になることと、根源への帰還は、イコールではない。登り坂と下り坂のように違う。

「心技体」という言葉があります。心と技と体を統べるものは努力であるというような感じがします。それぞれをバランスよくビルドアップしよう、といった感じがします。 私はこれに興味が無い。

根源への帰還は、道、体、魂 なり。

私も歳をとったから、自然と下り坂を歩いていますが、 下り坂といえば直ちに「衰え」とはならない。むしろ覚醒であったりする。
仙骨はこんなにも動くものだったかと、身体はこんなにも統一し透明になっていくものかと、下っているのに昇っているかような、新たな体験なのにまるで古の記憶を思い出したかのような、そんなシンタイキーな身体を、丸ごと味わう、たそかれとき。