重力に「よりかかる」ことはできます。さて引力には?

脱力して重力によりかかることはできます。重力を利用もできます。ボディワークにおいて、脱力して重力によりかかるのは初歩的なことであり、スポーツではコツともいう。 然るにそれが出来たとて、何だというのでしょう。そこから必要になってくるのは身体の質量の大きさだったり、「思い」の強さだったりします。より大きくて強いものが勝ち、弱いものは「ありのままでいいんだよ」という名の妥協案でやり過ごします。「ありのまま」や「今ここ」はスピリチャルの常套句ですが、重力によりかかるということは常に時差とともにあるということです。今ここになど永遠にいられません。

脱力したなら、重力は寄り添ってくれます。疲れたらここでお休みよ、といってくれます。私を使いなさいと言ってくれます。

引力にはそういう生易しさはない。


中心軸は、人がつくるものではない。人の思いとか努力とか望みとかに応えてくれる神様でもツールでもない。そういう営みの報酬としてたち現れてくる結果ではない。



次回予定 「愛しています」