着物と獣 2 そして私達は死なされる

というわけであるならば、引力に乗るのが私達なら引力は「私、私達」ではないということになるが。では引力とはなんですか。科学でしょうか哲学でしょうか。

クニトコダチノカミってのがいるらしいが。何処に?
ヒトはカミに似せてつくられたらしいが。誰に?
天上天下唯我独尊と言いはなったのは、ゴータマシッダルタなのでしょうか、ゴータマブッダなのでしょうか。暴走族のアタマでしょうか特攻隊長でしょうか。


そして私達は生かされている。ワタスタツによって。





着物と獣

外側から姿勢をつくって姿勢を決められるなんてことがあるとすれば、それはきっと、物理の法則に完全に則っているならば、である。物理の法則に完全に則っているとは即ち、「思い」や「思い込み」による歪みやリキミの一切は干渉していないということである。

しかしヒトの形は重力に任せて落ち着くには不安定すぎるし、動作をする。物質を構築して確り立たすのとはワケが違う。座禅に熟練してビシッと座ることが出来ても、それ以外はグダグダだったとしたら、座るときだけはちょっとしたコツを掴んだだけに過ぎない。

モノは一旦倒れたら倒れっぱなし、転がったら転がりっぱなし。単に身体を物理法則に則らせているだけならそうなる。では直立したり動作をしたりするには、結局「思い」によるチカラによらずにはおれないのか。

チゲーます。

地球は太陽の周りをぐるぐる回り続けていて、どこかへふっ飛んではいきません。我々は地球がぐるぐる回っても、遠心力でふっ飛ばされたりしません。私達は生まれてから死ぬまで四六時中懸命にしがみついているのでしょうか?チゲーますね。
ずっと懸命にしがみついていたら、車酔いや船酔いのようになることでしょう。頑張ったら酔うのです、色んな意味で。
何にしがみつこうというのでしょう。中心力にでしょうか?? 委ねなければ乗れないものに、しがみつくとはどういうことでしょうか。バイクで走るときバイクにしがみついたらまともな走行はできません。

仏の教えっぽい言い方をするのであれば、私達は生かされている。ボディワークっぽい言い方をしたとしても私達は、生かされている。



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