奇をてらうとか独自性を押し出すのが目的ではないのですが、肥田式的な姿勢動作を基準にしてからの、氣のルートを感じていると、どうにもこうにも面白い。てゆうか周天のカタチがカッコイイ(笑)

単に私の個人的主観的な、身体や氣の意識のカタチなのかもしれません。 しかしそういうのがなければなにもはじまらない。

普通、小周天はボディを1周させます。
超周天は(笑)、腰腹で1周、ノド首(鎖骨近く&頚椎七番)を基底とし首頭顔を1周、胸〜横隔膜部は垂直でなく平行に1周、これを全部同時に行います。てゆうか全部連動してます。

ひと呼吸。たったひと呼吸で全身の調律がおこなわれます。長時間の立禅とは対照的に、立ってひと呼吸、これでおしまい!スゲクね?

「何もしない」と言ってるくせに何かをしてるじゃねえかとお思いの方はいらっしゃいますでしょうか(笑)。
私達は、生まれてから、首を据わらせるのに努力はしてません、歩き出すのに努力と呼べるような努力はしません、自転車に乗れるようになるのに努力らしきものはしたかもしれませんが、乗れるようになったらオートです。

肉体的精神的霊的中心軸に乗るには、たしかに自転車に乗れるようになるよりも簡単ではありません。しかし、そのときそれはまるで、首が据わったときのごとくの「努めないチカラ」が使われるのだ。