一寸先はヤミ

昨晩、居間のテレビに素敵な夫婦が映っていました。雰囲気も素敵でしたが、泥棒に200万円盗まれたというのに、ヘコんでない風味がまた素敵でした。ので、よし、ワシも見習おう!イケてる感じ出していこうじゃねぇかオウ、ワレィ。てなムードで眠りにつきました。

そして今日。自販機から釣り銭が出てきませんでした。400円。


雨よ降れ!!
風よ吹け!!
雷神風神よ、この不条理な資本主義世界を滅亡せしめよ!ノーマクサラマンダーノーマクサラマンダー カシコミカシコミ ファッキンコーク!
と、怒髪天を突く怒りが過ぎ去ったアトに自己卑下を開始。へっ、ヒキヨセのホーソクが働いて計算できねえ俺が計算できねえ自販機に出会ったんだろ、どーせよぉ。酒だ酒だ酒もってこーいクラァ!ホラン千秋こらぁ。
で最後、雪だるま式にマイナス妄想炸裂。明日借金取りが追い討ちをかけにくるんだろうな… 悪いことばっかしてきたもんな… 誰の役にも立たず48年、チンコばっか立たして生きてきただけだもんな…へっ、オッツァンよ、俺はよぅ、ホセに挑戦する資格なんかハナッからねえんだよ、なぁ西、 泪橋を引き返す頃なんだろ、そろそろよぅ…


明日の朝もインスタ映えしそうなデッカイうんこ出るといいなあ。



貼りと張り 干渉と観照

身体前面は全く弛緩し、背面は全く緊張(張力)する。 だから、前面の感覚として脱力とか寛ぎとかがある。 背面の感覚として出力とか覚醒感とか、あるいは息切れする自力や思考する自分とは違う出力感がある。

この背面感覚を、スピリチャル界ではナントカ神と繋がるとかって表現するのかもしれないが、言わせていただくならばそれは、「身体背面及び内部で働く共振の力学のファンタジックな比喩」である。比喩にもリアリティのあるもの、取って付けのハリボテ、いろいろある。

人は、過去の記憶と繋がって、過去からの行動をとりやすい。背面に貼り付いた過去の記憶。動作だろうが価値観だろうが過去世だろうが、貼り替えは自由だとおもうけど、
貼りからの動作と張りからの動作って全然ちがうけんね。伸びが。価値観とか過去が干渉する重苦しくて遅い力は使われませんし。


次回予定「チブル式メデテーション 《マジで!?》の法」
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