私が音楽プロデューサーだったなら、中島みゆきのトリビュートアルバムをつくりたい。
ホームにて→椎名林檎
タクシードライバー→椎名林檎
悪女→ 椎名林檎
世情→椎名林檎
やまねこ→椎名林檎
(以上すべて亀田セイジ編曲)
ファイト!→宇多田ヒカル(独唱)
時代→シンディローパー
最後の女神→椎名林檎
軍事パレードとか見るとわかりやすいけど、全体像の話にとどまらずあの行進の身体の使い方、あれほど典型的な外からのコントローラブルな動きはありますまい。
肥田式がヨガよりはるかに人気がないのは、「一見」、ガチガチコントローラブルな型だからでしょう、そして「一見」、カッコよくない(笑)
二十歳の時の私が、日本の武道を習いはじめなかったのは、日本の武道が色んな意味合いで「一見」ガチガチだとおもっていたからです。コータローはしょせん漫画だろうと。
中学生のときでした。運動会の練習でラジオ体操をやってるとき、教師にいきなり後ろから蹴飛ばされました。私は「適当」にやっていたのです。でもマスゲームのような動作ではない「テキトー」さが教師としては腹立たしかったのでしょう。
中心練修会、三宅先生はそんな私も「アリ」だったのでした。貴重なエンだったとおもいます。助かりました。それでも私的には合同動作は苦痛でしたが(笑)。
私は色や形の揃ったスーパーの野菜が魅力的には映らないし、コンサートへ行っても観客全員で一丸となるあの行儀のよい手振り?は出来ひん。ハッキリいいましょう、
キ モ チ ワ ル イんだよ。
自我を一時的に解放させる手段として、皆でずっと同じ踊りをつづける祭りのダンスとかの効用ってあるとおもうのだけど、私は、正直にいいますと、「いろいろ信用してない」。脱力とか明け渡しみたいな記事をよく書くのに反して、全然明け渡さない自分がチョーあるヽ(≧▽≦)/ のだす。