2 素サ直ル





で、今朝は陽光を浴びました。また正坐にて。



神話によると、スサナオルノミコトは、天のクニにいるときはただの暴れハッチャクだったけど、イヅモでは王になりましたとさ。



荒ぶ(すさぶ)キモチは、誰の胸にも起こりうることでしょう。それは自然なことである。
横隔膜圧迫的呼吸法とかでそれを鎮めることができるものなのか私にはわかりません。脳のナニかを書き換えるとかなんとかでそれを鎮めることができるかどうかも私は知りません。

しかし、ただ上体は虚にして虚であるようなシセイをとると、胸に風は起こらない。風が頭や肚をぐらつかせることもない。


碇君といるとポカポカする
(綾波レイ)


下丹田の正中心位置は、骨盤などの解剖生理的な案内によって、あるていど示されている。
胸丹田の姿勢位置をそのように示すことも、ある程度はできるかもしれないが、ワタシはヒトコトで云いたい。
シンソコからスナオにすればいいのさ。


♪ショウネンよシンワになれ
(高橋洋子、残酷な天使のテーゼ)









ヤマトシンタイ 1




深夜のこと。


部屋が妙に明るいなと思ったら、鏡に月光が映っていました。

それから、小窓から直に見える月を覗きました。
すると、正座で月光と相対したくなったので、そうしました。


月光は陽光のウツシでしょうけれど、シンタイは月光のウツシのようでした。 や、どちらがウツシで何がどーだなどということなど、どうでもいいほど、シンタイで月光を浴びました。生まれて初めてソレををほんとうに観たかのような、シンセンな月見をしました。
どこにも行かない観光です(笑)。


♪月光陽光 俺を照せよ 月光陽光 なんてチカラ強い

(THEハイロウズ 月光陽光)


おもえば、観光地巡りどころか、ここ数年は10q以上先の外出もしていないような気がする(笑)。 しかしながら、シンタイという観光地は、巡っても巡っても飽きないので、ワタシはどこに行こうが行くまいが飽きない。


身体の上下軸が天地に抜けている(ような気になっている)体感だけでは、無限のチカラには、なっていない。
胸丹田は、上下(天地)のたんなる通過点ではない。そのチカラのベクトルは、まったく異なる。
まったくだ。



♪新しい舟を動かせるのは
旧い水夫じゃないだろう
(吉田拓郎、イメージのうた)





つづく

空氣




『チコちゃんに叱られる』という番組を両親が見ていました。『空気を読む』を科学的に解明していたようで、ふと私も立ち止まって1分くらい見ました。

コンピュータで顔の表情を細かく解析することで、言葉にはしない本心を読み取るという。 おそらく、メンタリストのダイゴっていう人とかは、器械の解析に頼らずとも、一瞬の動きを見逃さないとおもう。

で、フツーの我々は、細かい動きは捉えられてはいなくとも、潜在的に、なんとなく空気感として感じることは出来ている。 いや、『出来ていた』と過去形になりつつあるかもしれません。


さて、
合気の達人や肥田さんの動作のフィルムを、同じように細かく超解析できたら、見えてくるもの、解ってくるものがあるかもしれない。そしたら我々凡人は、その科学的恩恵を受けることでしょう。
でも反面、失ってはならないものもある。それは『なんとなく』を感じる感性である。

肥田さんは、合気やオカルトと違い、科学的理論を動作に『ねじ込んだ』(笑)が、それでも『なんとなく』を失わなかった。
彼は42才のある日、斜腹筋運動を、なんとなくつい
腰を反ったままやってしまったのだ。


熱烈なキモチでやってやってやりまくったかのような表現を、本人は文にしたためていますが、 厳密にはたしか『純真なる本我において』と書いてあったように記憶しています。
純真なる本我とは何でしょう。 理論的動作でもキモチ的衝動でもなく、また、曖昧的『なんとなく』でもないことは確かだとおもいます。










催眠とボディワークは決定的に違うので。





昔見た映画『ファイトクラブ』。内容はすっかり忘れましたが、1つだけ覚えているシーンがあります。
主人公が、体の痛みを無くそうと、イメージ法を試みて、穏やかな草原か何かを空想したが、役に立たなかった的な場面がありました。


私がおもうに、このようなやり方は、イメージにイメージを上塗りしているだけである。痛い、キツい、何とかせねばという思い、それ自体が、恐怖のイメージで膨れ上がっており、痛みの程度(現実)をフラットにとらえていないのです。そこにまた薄っぺらくて都合のよいイメージを上乗せしても、成功しません。

子供に『痛いの痛いの飛んでけ〜!』が有効なのは、子供は『痛い→怖い』に執着もしていないからです。恐怖がたちまち膨れ上がっても、たちまち消える。
大人のイメージ法が無効なのは、長らく恐怖や不安を積み重ねてきたことによって、シンライを損なっているからです。

大人たちはヒキヨセシンキング的なものに失敗しつづける。
イメージ力を強化すると、潜在的に定着しているイメージもまた強化されます。とってつけたイメージよりも、そっちのイメージのほうがはるかに地力があるのです。



下丹田が『丸い』とイメージでトレーニングしていても、なかなか上達しないのなら、それは、下丹田が丸いという『事実』を知らない&実感できていないからです。『知らない自分』がそのままに、事実をヒキヨセることは出来ません。

事実を知らないまま、イメージ丹田、イメージチャクラ、イメージ正中心、イメージ悟り、などをつくるのが上手い人もいるかもしれない。恐怖イメージがチカラを持つのと同じに、ポジティブイメージや、イメージング丹田がチカラを出すこともあるかとおもいます。『思考の現実化』とはそのようなことを云っているのでしょう。

ですが、事実はもっと全然揺るぎない。
知らない自分が、知ったつもりになれることを、ボディワークとはいわない。







ウィーン ウィーン





ポカポカ陽気に誘われて、今日は散歩の距離が延びました。

九十九里浜の最終最東地点にある公園をふらついていると、ハンドパンという楽器を鳴らしている方に出会いました。
UFOみたいな形で、神秘的な音がします。

何年前かにテレビで初めて見たとき、その形と音色に、なんとなーく惹かれていた私は、練習中に申し訳ないとはおもいつつ、声をかけ、話を聞きました。
そして、ちょっとやってみますか?と勧めてくれたので、遠慮なく触れさせてもらいました(今ドキ流行りの消毒とかソーシャルなんちゃらとかを、お互いわきまえつつ)。

形と音はスピリチャリーですが、奏法における身体のあり方、動作の仕方は、とってもボディワーキーなのでした!。
どんな楽器演奏であれ、リキミ抜きは大事だとおもいます。しかし特にこのハンドパンというやつは、胴から腕から指関節までしっかり細かくチカラが抜けて、なおかつコントローラブルでなければ、マトモに音が出ないのでした。響かないのです。

ちぶる整体施術で頚椎を触るときの指使いに、軽く弾くような動きを加える必要があるような感じだった。私は『タッピング療法』についてはよく知りませんが、おそらくソレとコレは 、よく似ているかもなと思った。

そして楽器を弾ますだけでなく、会話も互いに弾んでしまい、気がつけば陽が傾いていました。

私はその方に、御礼代わりといっちゃあナンですが、会話に紛れて、ミルトンエリクソンばりに(笑)触れもせず、敢えてあからさまな誘導もしない『いつのまにかちぶる整体』(笑)を施しておきました。
このところしばらく不調だったという肩甲骨周りの痛みが消えたみたいで、可笑しかったです(笑)や、喜ばしかったです。







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