私が昔乗っていたバイクは、ヤマハSR400、SR500、そしてSRX600でした。

これらは、セルモーターがありません。始動はキックのみです。それなりの排気量なので、原チャリのキックスターターのように無造作にペダルを踏めばエンジンがかかるわけでもありません。

そのときのエンジンの様子は、強健術になぞらえることができる。

まず、シリンダー内の圧縮を抜く。これは肥田春充が簡易強健術第四動をやる前にしていたチカラ抜き動作と同じです。

そしてピストンの上下動のストローク量を確保します。これは姿勢を立てることと同じです。

そしてペダルに遊びの無いところ(このときシリンダー内の圧縮は抜けたままではない、つまり腰が入っている姿勢)から、一気に最後の最後まで踏み下ろしきります。するとドドドドッとエンジンがかかる。

こうした作業を行うヒトの動作は闇雲な力任せでなく効率的なチカラの伝達だというところは強健術チックではあります。が、エンジンのフィーリングが強健術の体感とシンクロっていることに妙味がある。肉体=エンジンである。エンジンが自力で始動することはないのである。

でね、横隔膜操作での呼吸法や中心鍛練というのは、『ストローク量が足りていない』のです。全身を通さず、肚のストロークだけでエンジンをかけるような作業です。こうしたやり方を私は『横隔膜のマウンティング』と呼びます。
また、より自覚しづらい首のリキミがあります。首のリキミの主な原因は、思考です。たとえ無心でいるつもりでも、『刷り込んだ思い込み』は、自覚することが困難です。
そんな思考のマウンティングによって、身体は自由度を著しく狭めます。


SRのキックを中途半端に行うと、『ケッチンをくらう』といって、ペダルが強烈に反発し、足首にガツンとダメージを受けます。とても痛いです。二回もくらえば捻挫します。
それと似て、思考のマウンティングをしたまま中途半端に、首から下の体だけにチカラを与えると、頭にガツンとダメージが来ます。

意識的か無意識的かを問わず、マウンティングしてしまいやすい場所は、横隔膜と首の他は、腰です。腰のマウンティングをしていたら、腰椎を痛くする強健術をしてしまいます。初歩的な壁にぶち当たったままロクな鍛練にもならない。

しかし、首(思考)のマウンティングは、すべてを台無しにします。肥田式で云う『無限の力』、禅で云う『決着』を阻むのは、思考でくわえた首根っこです。



ヨガとか仙術とかでは、下方のブロックから砕いていくプロセスがよく説明されています。しかし、その順番は決まっているわけでもないと私はおもう。
それにほんとうは、其れは、ブロックというほどの実態は無い。
実態の無いものを定着さしてしまっているのは、執着です。