昔見た映画『ファイトクラブ』。内容はすっかり忘れましたが、1つだけ覚えているシーンがあります。
主人公が、体の痛みを無くそうと、イメージ法を試みて、穏やかな草原か何かを空想したが、役に立たなかった的な場面がありました。


私がおもうに、このようなやり方は、イメージにイメージを上塗りしているだけである。痛い、キツい、何とかせねばという思い、それ自体が、恐怖のイメージで膨れ上がっており、痛みの程度(現実)をフラットにとらえていないのです。そこにまた薄っぺらくて都合のよいイメージを上乗せしても、成功しません。

子供に『痛いの痛いの飛んでけ〜!』が有効なのは、子供は『痛い→怖い』に執着もしていないからです。恐怖がたちまち膨れ上がっても、たちまち消える。
大人のイメージ法が無効なのは、長らく恐怖や不安を積み重ねてきたことによって、シンライを損なっているからです。

大人たちはヒキヨセシンキング的なものに失敗しつづける。
イメージ力を強化すると、潜在的に定着しているイメージもまた強化されます。とってつけたイメージよりも、そっちのイメージのほうがはるかに地力があるのです。



下丹田が『丸い』とイメージでトレーニングしていても、なかなか上達しないのなら、それは、下丹田が丸いという『事実』を知らない&実感できていないからです。『知らない自分』がそのままに、事実をヒキヨセることは出来ません。

事実を知らないまま、イメージ丹田、イメージチャクラ、イメージ正中心、イメージ悟り、などをつくるのが上手い人もいるかもしれない。恐怖イメージがチカラを持つのと同じに、ポジティブイメージや、イメージング丹田がチカラを出すこともあるかとおもいます。『思考の現実化』とはそのようなことを云っているのでしょう。

ですが、事実はもっと全然揺るぎない。
知らない自分が、知ったつもりになれることを、ボディワークとはいわない。