そしてシンシンのチュウガエリは栄光への架け橋だ。



♪ いくつもの 夜を越えて 辿り着いた ナンチャララ〜

(ゆず)



二十歳のときでした。役者の仕事デビューをしたときのことです。
待ち時間が長いので、一人でウロウロしてました。ロケ地は北関東の山奥(具体的な場所おぼえてない)。湖畔の大木に寄り添って座って休んでいたら、自分が溶けていくような感じになった。はからずも初の瞑想体験をしたのでした。

あの時の体感として覚えているのは、大木の存在である。大木のエネルギーが私をそのようにいざなってくれたのは確かだった。

では瞑想には大自然は必要なのでしょうか。仏陀は菩提樹の下で悟りを開いたといいますが、大木は瞑想の必須アイテムでしょうか。

いいえ。そもそも
大自然や大木は、瞑想行に役立つかとかいうような、チッポケな尺度で計るような存在ではない。

そして。そもそも。
あのとき、大木が導いてくれた、溶けていく感じ、絶大な安心に包まれる感じ、というのは、本来、自己の内側にある。
整体とかメソッドとか大木とかは、それを知るキッカケを与えてくれたりはする。キッカケをね。
そしてキッカケはけっこうどこにでもある。
コタエはいつどこにいててもあるのだから、キッカケなんていくらでもある。






シン カイキ現象


居間で蕎麦を食べてる私の後ろのテレビから『脱力』という声が聞こえてきました。


音楽家の先生達のオンライン教室らしきものがテレビで紹介されておりました。合唱の先生が、発声の準備動作として、全身の力を抜きましょうと言って、グチャグチャなスワイショウみたいな動きをしてました。どこかで見たことがある動きだ‥。
そうだ、これは数年前に『あっぱれ正中心』で見た、シンタイコウとやらを披露する私の動画に雰囲気がソックリだ(笑)


次に先生は、横を向いて『天から吊り下げられたように真っ直ぐ立ちまーす』と言って、姿勢を見せた。天から吊り下げられたように‥ ‥ これもどこかで聴いたセリフだ。。
そうだ、これは『あっぱれ正中心』の記事だ。シンタイコウとやらを行う 私の様子が述べられた文と同じだ(笑)


次に先生は、『声を出すところはココでーす』と言って、ハラ(どちらかというと上肚)をさすった。むむう‥ (笑)

そして先生は『ココからのチカラを目鼻の奥に通して声を出しまーす』とかなんとか言って、スットンキョウな甲高い発声をした。むむむう!おい先生!アンタいつ誰にシンタイコウを教わったんだ!(笑)


いやまあ、やはり、モノゴトの根幹というのにはそうそう違いはないわけでありまして。

ワタシは、日々いろいろやっているうちに、習ってもいないのに新体道みたいな動作とか、野口体操みたいなのとかが自然と出てくることはよくあるし。
習って動いていたときの太極拳よりも、体の内側から起こってくる動きにまかせた太極拳的動作のほうが、よっぽど太極拳だし。
だから、私は、全く意図せず習わずして、自己の内側から、合唱の稽古をしていたのである(笑)。シンタイコウという名のもとで。

コタエは内側にあるばかり。である。




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