シンライン パート2



前回の書き直しです。


肥田式強健術ほどの、腰をグリン!と決めた姿勢では、垂直落下感が生じます。 ともすればこれには恐怖心のようなものが伴うかもしれない。
けれども、『危険』と『恐怖心』は、よく観察すれば同じものではありません。

地の底から沸き上がるようなチカラに対して恐怖するのは、フツーの我々が積んできたカルマ(ズレ)なのでしょう。それはそれでそうゆうプロセスを私達は歩んできてるんだから、まあいい。
それでもそこから突き抜けようとする衝動、これは『ホントウ』ではないのだとかんじるタマシイレベルの衝動があるなら、恐怖による姿勢のとりきれなさは、かならず解消してゆける。

上腹を固くした根性とか気合いによって克服するのではない。落下は恐怖ではなく歓喜なのだと、シンタイで知るようになるのです。私を含めた誰かの言葉でも誰かの提唱するメソッドによってでもなく、自己のシンタイがもともと知っていることを、明らかにするのだ。

具体的な話をします。
骨盤底筋がグレンとひっくり返るかのように張り上がることによって、姿勢は決まる。 腰椎あたりをギウギウ反ったところで、ハリボテの姿勢しか取れんのじゃ。下からのチカラが突き上がることによって、腰は『反れる』のである。そうして『反れている腰』が使える腰であって、『反っている腰』ではほんとうの身動きがとれません。

骨盤底筋を鍛えるとかいうと、ギュッと肛門を閉めるエクササイズみたいのが一般的には行われるのかわかりませんが、それもまたシンタイコウとは関係のない鍛練法です。

潜在的恐怖心からの、諸々の対処をしていても、アウターな部分しか鍛えられへんのですよ。中心力ってビルドアップしてつくるものじゃないだろって何度も何度も書いているような気がするが、また書く。
ケツの穴は締まるのだ。閉めてんじゃねえよ。

ウンコはハラをゆるめるからきもちよく出るのであって、イキンで出しても爽快感は薄いです。
これが肥田式強健術だとばかりに、超イキンで腰腹に力を込めている動作の動画を何年前かに見たことがあるが、痔もしくは脳溢血になりそうな映像でした(笑)。それよりはるか昔にみた春充本人のフィルムでは、そんな便秘運動などしてなかったぞ(笑)。


次回予定
『ケッシンと真命』






シンライン


排水路にたまっていた泥の山をかたづける作業をした。
さほどやり慣れていない作業をするときに、いつもおもうことについて。


肥田春充の逸話には、数人分の若者が行う量の農作業など一人でサクサクこなしたとか、体力自慢の話がいろいろある。てゆーかいろんなエピソードがありすぎる。
でも、私はといえば、何かの作業で、平凡もしくは平凡以下のことしかできないことなんてよくあります。しかしそれがイイんだよね。そこからどうやってシンタイコウを応用したらいいかってことに夢中になれるから。

おもえば、どちらかというと私は体を動かすことに喜びを感じるタイプの人間ではなかったはずだ。しかし、淡々と行う肉体労働というのは瞑想に通じる。あらたまって、たとえばグルジェフワークみたいなメソッドチックなことをする必要はないのである。


なんならそんな調子ですべてのことをシンタイコウ的に行えれば万事オーケーなんでしょうが、そうは問屋が卸しません。 嫌なものは厳然と嫌になってしまうのです。肥田さんだって同じではないのかな? 強健術が精錬されてゆくほどに、ダンベルトレーニングなんてアホらしいモノになっていったんだろ?ちがうかな?。しまいにゃあ、肉体にも収まっていたくなくなっちまったんだ。


ところでコロナ騒動後は、オンラインとかキャッシュレスとかのシステムが加速してゆくのでしょう。社会は便利になってゆくのでしょう。 私は絶望感しかありませんが(笑)。私にとってほんとうのキャッシュレスとは、持てる者と持たざる者のイストリゲームが存在しない制度のことだ。ワンタッチで架空の数字が増減するシステムのことではないんだ。


話がそれちゃいました。次回以降に書き直します。『肥田式の姿勢で生じる垂直落下感は、いわゆる腰を据える的な、安定をつくりこむような作業とはまったく別次元のものである』ことについて。





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