肚のチカラは、善悪の区別とかは無いので、自他を滅ぼすようにだって作用する。からこそ、通常、人は、そんなチカラを封印するなり小出しにしてやり過ごすのだとおもう。

全開の肚力は、心や頭の表層の『どうするべきか』『どうあるべきか』というような思考力や意志力では制御できない。アンコントローラブルなものです。

ヘタに氣を開けてしまった場合の偏差やクンダリニー病はそうして起こる。カルト修行的宗教の凶行もそうして起きる。


では、どうすべきかという意志力が通用しないのなら、どうすべきなのか(笑)。
禅行だったか何だったか忘れましたが、『心随観』とかいうのがありますよね?どういう行なのか私はよくわかりませんが、この漢字からなんとなく想像はできる。心の力で制御する的な行ではないということと、心のないエネルギー開発による破壊的暴走を食い止める手立てでもあろうということを、想像する。


ヒトの心の深層中の深層もまた、善悪などの区別は無いとおもう。けれども、肚には真の力があるように、心の深層の最奥には真心がある。
ほんとうのチカラ、ほんとうのココロとは、すなわちほんとうの自己のスガタですが、私達は、それを封じ込めて、表層にばかり刺激を与え、表層にばかり満足を与え、表層で答えを出そうとして苦しみつづけてきた。
運命を好転させようとか、宿命を知ろうとかしてきた。

シンタイコウは、そうゆうのを全部終わらすための使い捨て雑巾です。