姿勢をとりきって、重心の落ち処が定まっていれば、ことさら腹圧とか気合いとかをかけなくとも、肚のチカラは沸き上がってくるのですよね。
そしてその沸き上がるチカラに身を委ねるほど、またさらにチカラが沸き上がってくるのです。

胸も同じです。開かれるチカラで胸が開き、また胸の開きがチカラを生み、全身を放射状に切り裂いてしまう。
見た目には正座をしているだけだが、内部的には磔のイエスが復活するような感じ、と言ったらいささか余計な思想がまとわりつきかねないので、もうちょっと単純に言い換えますと、磔のカラダが歓喜で爆発して、のち復活再生するような感じ、です。いやもっと単純に言い換えますと、ぶら下がったカラダが地の底からつき上がってまた落っこちてストンと立つようなかんじです(笑)。


けれども、沸き上がる爆発力に対して、身心の歪みが、抵抗としてあらわれたりもします。ケガレが、深層のリキミが、心の傷が、罪の意識が浮き彫りになります。
ですが、これらには実体はなく、これらが自分自身なわけでもない。
これらをどうこうしようとするなら、これらが活性するだけです。

それはアクマでもシセイのミチビキのカテイでアラワレルモノである。