姿勢、動作が解放されてゆく。人体はほんとうに、固まりではない。みずみずしくあれるのだ。
肥田式は腰を反り胸を開いた姿勢を強調している。これは言うなら「陽の極み」に感じる。そして、中国武術のいわゆる含胸抜背(ガンキョウバッパイ) 姿勢は、陰の極みに感じる。ただし、私の体感では、含胸抜背のとき、下肚に氣は落とさないというか上肚に力点があるのである。陰姿勢極まって陽姿勢に転ずると、集約された上肚中央からバーン!と身体が広がって、ギーン!パカーン!と、下肚中の下肚はキマり、胸はすく。そして陽姿勢から転ずると、なんとなくハリネズミが丸くなっていくみたいな感じ。大袈裟に見た目の姿勢が変化しなくともよい。内部のチカラがそうなっているかどうかが大切である。
陰から陽へ、陽から陰への終わらない営みが動である。極まっているときは静であるが、動中に静あり静中に動あり、陰陽と動静の組み合いはいろいろある。
胸は観音開きの扉のようである。でも肋骨は平面ではないので、そうだなあ…昔の車で屋根から上に開くドアの外車ありましたよね?アストンマーチンだっけ?ジャガーだっけ?わかんないけどそんな感じ。よけいわかんないですかね。ごめんなさい。
肚は原子みたい。分子が上肚下肚を交互に運動する。
新聞紙を打つ練習をしていた頃、「それが出来たらなんだっていうの?」と冷笑する人もいました。同じように、「その体感とやらがあったらなんだっていうの?」とおもうかたもいるかもしれませんね。別になんでもないっす。おかまいなく。
何にもしなくても、こういう身体はヒトに与えられているのだ。それをいちいち鍛練とかで固くする必要があるか?
決まってんべ、ねーよ。