シン自由姿勢だ。

姿勢、動作が解放されてゆく。人体はほんとうに、固まりではない。みずみずしくあれるのだ。

肥田式は腰を反り胸を開いた姿勢を強調している。これは言うなら「陽の極み」に感じる。そして、中国武術のいわゆる含胸抜背(ガンキョウバッパイ) 姿勢は、陰の極みに感じる。ただし、私の体感では、含胸抜背のとき、下肚に氣は落とさないというか上肚に力点があるのである。陰姿勢極まって陽姿勢に転ずると、集約された上肚中央からバーン!と身体が広がって、ギーン!パカーン!と、下肚中の下肚はキマり、胸はすく。そして陽姿勢から転ずると、なんとなくハリネズミが丸くなっていくみたいな感じ。大袈裟に見た目の姿勢が変化しなくともよい。内部のチカラがそうなっているかどうかが大切である。

陰から陽へ、陽から陰への終わらない営みが動である。極まっているときは静であるが、動中に静あり静中に動あり、陰陽と動静の組み合いはいろいろある。


胸は観音開きの扉のようである。でも肋骨は平面ではないので、そうだなあ…昔の車で屋根から上に開くドアの外車ありましたよね?アストンマーチンだっけ?ジャガーだっけ?わかんないけどそんな感じ。よけいわかんないですかね。ごめんなさい。

肚は原子みたい。分子が上肚下肚を交互に運動する。


新聞紙を打つ練習をしていた頃、「それが出来たらなんだっていうの?」と冷笑する人もいました。同じように、「その体感とやらがあったらなんだっていうの?」とおもうかたもいるかもしれませんね。別になんでもないっす。おかまいなく。


何にもしなくても、こういう身体はヒトに与えられているのだ。それをいちいち鍛練とかで固くする必要があるか?
決まってんべ、ねーよ。







NOだ。

私は、セラピーとかセッションとかを、直接対面せずにネット通信で行うのは、ちょっと信じられない。遠隔ヒーリングなんてあり得ないとは思わないが、メールで申込んだ人をリーディングだかチャネリングだか知らねえが、そんなの私には出来ない、というかやる気になれない。いつぞやに、ネット通信だか遠隔氣功だかで大周天を伝授しただのしてもらっただのいう文を見かけたことがあるが、無茶苦茶である。ネットは非常に便利だ、でも中身はグチャグチャだ。

今ドキの若い人あるいは今ドキの精神的疾患者の多くは、直接の対面では心を開かず、むしろネット通信でやりとりしたほうが有効だったりすると、精神衛生ケアをしている人の論文を読んだことはある。なるほどねと思った。 でも私はそういうの出来ない。出来ないんだからやらない。

ただし、なんとなく、対面を嫌う心理もわからなくはない。氣とかボディワークの本質は、人の個性によらず無色透明のエネルギーである。だが、よほどのブッダでないかぎり、人それぞれカラーが出る。その個人的エネルギーと干渉したりされたりしたくないのだろう。実に繊細だ。それを四の五の悪く言う昭和的な無神経さのほうが正しいとも思わない。


だが、とにかく私は、対面なしでの交信はあり得ない。麻雀といったら四人集まって牌を打つことであり、通信麻雀ゲームは全くそれとは違うものであることに似ている。 同じじゃね?とおもう人は麻雀を脳でやる人なのかな。

私は氣功やヒーリングを脳でやらないんで、そういうの、わかりません。バカで結構だし、もっとバカになって風邪を引かないようになりたい(笑) ここ20年で1回か2回くらいしか引いてないけど(笑)。






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