教科書で学問的に説明されたり、作家が伝説的に描いたりする歴史上の人物を、もっと生々しい一人の人間として伝えている人がいますね。テレビで見かけます。

人間イエスや人間ゴーダマも知ることが出来ればいいと思うのですが、彼らの人間の部分についてはもう誰も知らないのでしょうか。それとも宗教の暗黒面が史実を封じているのでしょうか。


伝説の人物にかぎったことではないが、ヒトって往々にして自分にカッコをつけるんだよね。逆に卑下し過ぎる場合もあるけど、とにかく自分の見立てた自分のヒストリーが、まんままるごとの自分にはなっていない。
自分自身だけじゃなく、他人も世界も色メガネで見るから、もし、目の前にイエスキリストがいたとしても、たぶんわからない。ゴッホの『ひまわり』が倉庫に放り投げられているか競売にかけられているかを見る人は沢山いても、絵そのものを確り見る人は少ない。
我々はひまわりを見ているのではなく、ガクやハクを見ている。絵を見て観ずに、頭で『ゴッホのひまわり!』と、クイズ番組の解答みたいな認識をするにとどまる。

宮本武蔵が本当に強い人だったとして、たとえば今現在、宮本武蔵と同じ強さの人がいても、その評価って、宮本武蔵ほどには固まらないですよねきっと。

他人の評価を全く気にしていない幼稚園児のお絵かきは感動する。素晴らしい。あの無防備さ。そこには無垢しかない。でも、そのうちの1枚の絵が、アインシュタインが子供の頃に描いた絵だというなら!大人社会ではおかしなことがはじまるでしょう。


随分長い話になってしまいました。一気にまとめます。ボディワークは無垢であれ、無防備にやるがいい ってことです。
段位とか演武会とか、んなもの無いんです。 お天道様とハイアーセルフに捧げてりゃいいんですよ。そのうちハイアーセルフが一緒にやってくれるようになります。
つーかもともと、離れてはいないですけどね。