昨晩、寝入りばなだったか、肥田春充に思いを馳せた


あの人の著書から伝わる熱とは裏腹に、尋常でない冷静をかんじた。あの人はヒトである自分を、まさに「ヒトゴト」のように扱っていた、ような気がした。

一般的な意味でのいわゆる自己実現は、肥田さんはマッチョな肉体を完成させた頃に達したと見る。しかし彼は、虚弱な自分から強健な自分へと変身する決心をした時点でそもそも、保身のキモチが薄い。死んでもかまわんから強健になるという、パラドクスな精神だったんだとおもう。よって、「一人の人間としての成功」に、最初からあまりしがみついていない。

ヒトの本質が光であるか波動であるかカミであるかはさておき、極論いうなら「ソレ」が肥田春充をやってたんだ。

「ソレ」がヒト肥田春充を、存分に体験していったんだ。