私の嫌いな筋トレにだって、学ぶことはある。やらないけど。
それは破壊と創造のプロセスによって筋肉も発達するという、事実。



さて。強健術などの、独りで行う型稽古は、ある意味で厳しい。ガチンコ武道のように相対的にはチカラのチェックが出来ないから、馴れ合い武道のような『お約束』の組手を、自分で自分におこなうレベルにとどまりがちになるからである。『毛の生えた健康体操』をして時間が過ぎてゆく。それはそれで悪いこととは言えないけれど、このブログではそんな体操についての話はスルーしまくりだから、今回もスルー。

身体(腹でも腰でも筋肉でもなんでもいいけど)を鍛えるソレに居着いていては、お約束組手(動作)しか出来ないのである。『ソレ』とは何か、それを身をもって知るのが『非お約束』のボディワークの醍醐味でもありますが。脳機能科学とかそれに類する気功の概念では、ソレのことを『コンフォートゾーン』というコトバで説明をしているのかもしれません、よく知らんけど。


ものすごい速さをもって、すごくゆっくりと、動作をするのである。この矛盾ともいえるサマは、『ソレ』ではないものによってなしえることができます。