ミ カエル

(…この人のこの動きの何が凄いっていうの?) と思った20代。

(あの人、何であの動きが出来たの?スゴ)と思った30代

(…あの人、何もしてねえじゃん!スゴ!)と思う40代。

フィルムに映る肥田春充さんは不変、コロコロ変わった私のココロ。


世界のシステムや都会の様相には変化はあるものの、イキをする私達はずっと変わっておりません。

故郷に帰ったとき、目に映るのは心象風景です。 人は死ぬ時、走馬灯のように、生きてきたストーリーを見るといいますが、魂の故郷に還るときに、心象風景を総括して見るということなのでしょうか。魂の故郷へは、必ずしも死なないと還れないわけではないと思うのですが。


で、整体での話。人の不調具合に、理由はあるでしょう。因果なんて無いとは言いません。でも、因果に因果で対処しても、因果は無くなるわけではありません。 癒しのチカラというのは、全く因果は絡んでおりません。不調の具合がどんなものであれ、本来のモノのチカラは、ただ、発現するだけなのであります。





マナビ

日本言葉は、和製漢語や和製英語や方言も含め、語彙というのか、ボキャブラリーというのかかが沢山あるのでしょうが、
自分のブログを読み返すと、同じ言葉を真逆の意味合いで書いてることがあります。

言葉を使えていないのか自身の矛盾の露呈なのか両方なのかはさておき、「文、手書き文、通話、対面会話」では、やりとりの具合は違いますよね。

一番濃密で確実なのは対面会話ですが、だからといって目の前の人とコミュニケーションがとれていないと感じる場合もあります。意見の違いというのではなく、初対面だからというのでもなく。
それは、目の前の人が、目の前で今まさに、目の前の人を、観ていないときです。己の過去からの記憶や知見でしかモノを見てないし言っていないときです。パソコン脳です。

目の前の人を今、観て、会話が出来ているなら、ボキャブラリーは逆に不要になってきます。赤ちゃんや田舎の老人、互いの国の言葉を知らない人同士と、コミュニケーションをとりたいとき、巧みに言葉を操るという方法はとりませんでしょう。
人が人を、今この瞬間を 観るとき、習い事、修行等々をするとき、過去からの自分がどんなに優秀だろうがクズだろうが、関係ないのです。




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