例え話をしますよ。


私達は、キンコジ(孫悟空が頭に着けている輪)のようなものをハメています。キンコジは目に見えず物質化もしていなく、右脳と回路をつなげ同化しているので、その存在に気づくことはありません。左脳は右脳の指令に言い訳や屁理屈を合わせて自己を納得させるのが得意なので、左脳もまたキンコジには気づきません。

キンコジは何をしているのか。「我、かくあるべし」という洗脳です。監視です。信念、希望、絶望、自分や他人と上手くやっていくことや上手くやっていかないことです。寄生虫のようでもあり、首輪のようでもあり、親や先生のようでもあり、なりすました神様のようでもあるでしょう。

観察行が監視行に刷り変わる、或いは観察行だと思っていた行為が最初から監視行でしかなかったりするのは、キンコジの作用であります。

親から先祖から受け継いだ遺伝は遺伝であり親のものでも自分のものでもないのに、親のものであり自分のものであるとしている如くに、キンコジが自己であるという認識に疑いを持つこともありません。転生ドラマは遺伝情報の発火作用を誇張させた表現だと思います。過去世は過去世が必要な人にしか存在しません。そしてキンコジはキンコジが必要な人にしか存在しません。

そして観察は、監視をも観察します。