脱力と出力は同時です。
十分に脱力をしてのち→一気呵成に或いは烈火の如く力を出すわけではありません。脱力は力を出すまでの準備ではありません。脱力イコール出力です。タイムラグはありません。

例えば指圧を強く行う場合にせよ、ちぶる体操の極めの姿勢時にせよ、恐らく武術の技だってそうだと思いますが、脱力と出力は別々の任務ではありません。

さて整体を受ける側の場合はどうでしょう。脱力と「入力」が同時におこなわれます。何かを学ぶときと似ています。

何であれ、与える、伝える、教える側も、脱力出力であるのが良いのです。そうでなければ「リキミの押し付け」になる。


脱力してるフリというのは、スピリチュアル系の自己欺瞞術としてはあり得ても、ボディワーク、武道、子供あるいは動物には通用しない行為です。当たり前ですが脱力は芝居ではありません。本当は脱力できていないのは自分自身が一番わかるはずです。なぜわからないか。あまりにもリキミとフィットしているからです。なぜそうなるのか。脱力は恐怖と表裏一体だからです。

「把握する」「コントロールする」ことを放棄しなければ脱力はできないので、それが恐ろしくて出来かねるのです。コントロールする対象が自分自身だろうが他人だろうが関係ありませんが、「やられる前にやっちまえ」みたいな作業を、自分自身に、他人に行っているのです。我々はね。

教育やスポーツ武道や常識社会の世界でも、脱力は理想でしかなく現実は弱肉強食なのでしょうが、真実は違います。これは、私の理論 の話 ではありません。