この身体の脱力出力の開発が進むたびに、「なんだ!今まで私は何も出来ていなかったし何もわかっていなかったじゃないか!」と思います。それは堂々巡りによる悲観的感想ではありません。
出来ていないことが出来るようになるのは、暗闇に光が灯り瞬くような感じです。脳の感覚とか気分というより、身体的なものです。
「わかっていなかった」。そりゃそうです。わからないのですそしてわからなくてよいのです。わかるとは分ける、掴むという作業だからです。脱力出力のベクトルは逆なので、掴むことはできないのであります。
脱皮。みたいなものですね。全部むけたらどうなるのでしょう。肉体は消えるのでしょうか。これも、わか り ま せん。
「欲しがりません勝つまでは」もとい、 わかりません出来るまでは。もとい、わかりませんわ出来るほど。
「悟ろう」としているが実は「わかろう」としている人は少なくないと思います。ヤル気ですとか強い意志は、結構なものを掴めますでしょう。掴めます。
しかし、光の照射するスペースは空っぽでないと、気や意によって、ふさがってしまうのです。
マインドコントロールというと、怪しい組織や人が行う怪しいものというイメージがありますが、私達はほぼ全員、自分で自分をマインドコントロールしています。ほぼ全員です。それもヘタクソなやり方で。
ですから怪しい人の多少上手なやり方にのっとられることに恐怖や嫌悪を抱きます。ですが、自分のコントロールマインドとウマが合うノウハウやマインドを強化してくれる人やハウツーには従うのです。
マインドを、愛すべき自分もしくは憎むべき自分つまり自分自身だと思い込んでいるからです。
当方の対話セラピーは、相手のマインドに対して関わりはあまり持ちません。操作も干渉もしないし、人情的に思いやることも寄り添うこともしません。悪くいえば他人のマインドに関心がありません(笑)。
気功整体なら更にダイレクトです。身体からもマインドが伝わることはありますけれども、そのマインディングボディにはあまり干渉せず、素通りします。身体そのものは、もともとはフラットなので、フラットボディとのやりとりをします。
マインド及びマインディングボディを癒したいのであれば、そういうセラピーをするヒーラーにやってもらってください。私はマインドに対してはセラピーもコントロールも、いたしませんので。