ミを覚ます

まずは肥田式強健術の話から。

肥田春充は、フイに行った腰を反ったままの第四動での、聖中心悟得の体験を描写していますね。ドラマティックにね。
それを読んだ後世の我々は、勘違いをします。あの姿勢を外側から真似て、決めの動作の瞬間に、自分もドラマを起こそうとするのです。あるいはドラマが起きるのを期待するのです!この作業を辛辣に言いますとすれば、酔っ払い、お遊戯、泥棒です(笑) 本道が歩み出されるのはそんな御遊戯を解体してからです。必ずしも誰もが相当するプロセスではないだろうが、ということは申し添えておきます。

こうしたメソッドや武道は結果に現れますから、出来るか出来ないかは自覚できます。ですからいつまでも酔っ払っていても何もならないことは、痛感するはずです。武道は、勝ち負けという相対的な結果や段位という暫定で下される評価に捕らわれるかもしれませんが、誠実であるならば、そこにアグラはかかないはずです。


スピリットとマインドの区別がつかないままスピリチャリズムに没頭すると、酩酊状態になります。より強い「マインドの酒」を飲み、覚醒したような気分の深い夢を見たりするかもしれません。
しかしこれもまた、誠実であるならば。


肚は白く、額は空に、胸は透明に。 マコトに。




おかげサマディ おもい脱す

デジタル時計や秒針がカチッカチッと動くアナログ時計は、何時何分何秒かを明確に表現します。秒針が滑らかに動くアナログ時計は、通り過ぎ続ける時間を表現します。

針の中心は。


時間が紡ぐ人生ドラマは面白いので、夢中になります。ドラマの主人公になりきって、喜怒哀楽一喜一憂してカタルシスを味わいます。主人公だけでは飽きたらず、脚本監督プロデュースもしたりします。自分は世界のドラマのエキストラだとみなす人もいますでしょうが、セルフマインドというドラマの中では完全に主役です。



マインドと自己を混同しない「時」があったとすれば、幼児の頃でしょう。しかしそれは、マインドや身体が未発達だったということです。マインドは育ちます、ドラマは始まります。
そしてマインドラマに夢中になります。


ですが、中心は? 。



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