今日も走り書き。
思考はアウターマッスルに通ず
意識はインナーマッスルに。
インナーマッスルにもリキミは潜む。
アウターマッスルもインナーマッスルも空にする。と、中心力に「使われる」
臀部筋 内転筋 大腰筋を空にするのは整った姿勢によってである。空が作用するのは呼吸によってである。
アウターマッスルの硬直 によって整った姿勢を作ってはならない。インナーマッスルを使って整った姿勢を作ってもまだそれでは不十分である。
思考はもちろん意識を使って有限を突破することは不可能である。
使われるものは使うものではない。
空のマッスルは、いつ使われてもいいように、いつ何時でも静けさを保っている。
今回は、勝手な書き方をしますんで、容赦してけろ。
「自分」というものは眉間のチャクラより少し下にある。あるといえば。
ないといえば、ない。が、中心軸から少しずらすと、ある。
首、背には過去がある。なくすこともできる。 首には「盲意識」がある。 盲意識は、通常の意識を限定的に操作する。
睡眠中に見る夢は盲意識と意識の会議のようでもある。
ルパン三世は夢は見ない(笑)つまり盲意識がない。つまり意識しかない。
つまり行為にシバリがない。
過去は変わらないという錯覚は、盲意識の働きにすぎない。過去が変わらないのなら、未来も一切変わらない。
盲意識に縛られたままの表の意識は、良いことだろうが悪いことだろうが自己のストーリーが支離滅裂になることを許さない。
が、盲意識が暴走すれば支離滅裂になる。
盲意識の解放は、暴走ではない。盲が盲ではなくなることである。
…書き終えてみてそれほど無茶苦茶な記載にはなってはいないなと思ったんですが。いかがでしたか(笑) でも最後まで読んで頂き有難うございます。