最近は、滅多にやらなくなってしまいましたが、形意拳に似た突きを数センチ程度のストロークで打ち、1枚〜10数枚重ねた新聞紙を打ち抜く練習をしていた時の話をするよ。

それをコンスタントに出来るようになって気付いたのは、構えた時点で、出来る出来ないが決まるということ。姿勢の取り方です。外の姿見よりも重要なのは内の勢い、の静けさ。感覚としては、破いてから打つ、みたいな感じ。

んで、やがて、新聞紙が破れてから一瞬遅れで「ボッ!と」音が聞こえるようになってきたのです。もう色々と順番が逆に逆になってます。実際上は、打ってからでないと破れないし破れなければ音は出ないのですから、感覚の錯覚なのですが、単なる錯覚、で済ませる訳にはいきません、コチトラ。

常識的直線的な時空間とは違った、自らが創造(決して想像ではない)している時空間があるのです。

直線的な時空間ばかりに気をとられて、創造されている時空間を無視したり否定してしまわないようにすることは大切です。

知覚しづらいことかも知れませんが、自分が思ったり動いたりすることよりも前に創造は起こっていて、そこから、思いや行動、自意識とか現実というものが現れ、創造が体験として訪れます。「思ったから動く」という感覚こそ錯覚です。「思う」のは、行動する自分を納得させるためのワンクッションのような作業です。ですからブルース・リーのような格闘家にとっては、そのワンクッションのタイムロスが命取りになるから、「考えるな」と言ったのでしょう。


何にせよ私達は、自らの創造性を自ら体験するゲームの渦中にいます。このゲーム、やりたいヤツだけやっちゃえ日産というよりは、やってない人はいない、と言えます。
であるからして。私はただ歩いているだけでこのゲームに夢中であるゆえに、歩きながらのスマホゲームをしているヒマなど無いのです(笑)。