頑張れ。…最高レベルに嫌いな言葉であります。
私が国語辞書の編集をするなら、「頑張る」についてはこう書きます
「呼吸停止状態で行う屈筋のアイソメトリクス運動」。最悪です。
その言葉がそういう風にしか響かないので、当然、そんなことしたくもないし、誰かに言われたくもありません。が。なのに。なんと。
かつて。甲本ヒロトが歌いました。♪僕が言ってやるでっかい声で言ってやる頑張れって言ってやる聞こえるか ガンバレ!!
………全く違う言葉に聴こえました。聴こえたというより、何かが飛んできて体で爆発しました。言葉の意味とか何とかじゃない何かが体の真ん中をぶち抜いてゆきました。
あれはスペシウム光線だったのかもしれん。スゲーな、ヒロト。
俺は頑張らねぇけどな!。
前記事では、身体を使う事の尊さについて話ましたが、先天的な疾患または後天的な重度のケガや病気で、体の中枢部、体幹に不具合がある人の場合についても少し考えてみます。
自力で歩行出来ないほどの身体で生きている人は、即ちバーチャルライフ でしかないのか?私はそのような身体を施術した経験はないし、自身の経験でも 、両手が数ヶ月使えなかったことはありましたが歩行は出来ましたので、寝たきりの状態については知り得ていません。
ですから大したことを言うことも出来ません。
ですので、自分が責任を持って言えるレベルでの話をするなら、それが治る力が働いている身体についてだけ、少しだけ言えることがあります。
呼吸です。空気は肺を出入りしますが、気は背骨に沿い、身体の中枢を通ります。筋肉や血液よりも、気は先行しています。気が先です。キがモトです。モトキ。元気。決してモドキではありませんよ。
イメージ法を使って気のトレーニングをする場合のリスクは、モドキで終わるとか、イメージがなかなかつかめないとかっていうことがありますけれども。
イメージしようがしまいが、気はあります。
静かに…静かに。静かに呼吸していると、気づけます、気に。体が勝手に呼吸しているのを観察するくらいの静けさで、気は発見できます。
特殊な呼吸法などをするのはその後からで十分です。
よく動く、よく活きるという意志は、気分を奮い立たせて働かせるものではありません。
身体は、元々、そうするつもりしかないのです。