シンゼン



「脱力=力が出ない」と、肉体(肉体操作)にプログラミングしている人は多い。とはいえ昔からスポーツでも何でもリラックスの重要性は言われつづけている。そこで「適度な脱力」みたいな術を提唱する人もいるが、ここではそういう話は一切しない。


特別必死に何かをしている時、フッと力が抜けて良い結果をもたらしたという体験をしたことがある人は多いとおもう。そこで人は一時的脱力体験をする。しかしそれは稀に生じる特別体験としてくくる人もいる。ここではそういう話もしない。特別体験でなく恒常的日常的な在り方をもって、はじめて脱力とする。



真芯に触れた身体は、ぜんぜん力を入れなくてもよいコツを身体が知る。よって身体には余計な力が入らなくなってゆく。よって力を入れようとはおもわなくなってゆく。「脱力=出力」、「リキンだらアウト」というあらたな身体設定ができる。

尚更に、真芯に完全シフトした身体は、リキミ自体存在しない。仮にめっちゃリキンだつもりで動作しても、リキミはそこに無い。すなわち「脱力」だって無い。「アウト」とか無い。真の全力、ジャスト、ベストがあるだけである。



次回予定
「シント」
「真っ波と真っ芯」
「猫のミョー術 2」







夢の冥術




目が覚めた。

印象的な夢を観たので、記録しておく。


真芯へのアプローチについての記事を夢の中で書いていたが。全文忘れた。

どこかの地で、歌を唄った。複数の人と。どこかの目的地へ入る前、少しばかり惜別のような感傷的な気持ちは混じりつつも、誰もが「凛」としていた。


♪大空そめてゆく
夕陽いろあせても
二人の心は
変わらない いつまでも

(加山雄三、君といつまでも)




アストラルトリップ(夢)の臨場感を文で伝えることは非常にむつかしい。 この歌も、加山雄三の唄を想像されると、ちょっと違うんです。ハネムーン的なものではなく、「真芯へのアプローチ」の歌だった。


♪今宵も日が暮れて
時は去りゆくとも
二人のおもいは
変わらない いつまでも








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