今一度、腰を入れる、仙骨を上げる、立てるということが、一段と正確さを増してわかってきたつまり出来てきた。身体のパーツのどこをどうするようになったからとかいう説明も可能ですが、これって単にテクニカルな進歩なのではないよなあとおもう。シンポするたびいつもそうおもう。




姿勢動作において肥田さんは、観念による作業を否定しました。イメージ法など駆使せずただただメカニカルに身体を扱う べきであると。
しかしそうするには絶対条件があります。我々はたいがい、無意識レベルで何らかの観念エネルギーが身体に染み付いているので、それが白紙状態にならないかぎりはそもそも純粋メカニカルな動作など出来やしないのである。

よってフツーの我々は、まず染み付かせた観念を暴き、解体しないことにはスタートラインにも立てないのです。とはいえ、では瞑想とか心の修行を極めてからなければ運動してはいけないのか?というとそうではない。ソレとコレは別問題ではない。観念に囚われた動作しか出来ないのだったらそれをしながらそれに気づいてそれを終わらせていくのです。


私自身は、よく、自分はイメージングをしまくっていろいろとシンタイコウをしているのではないのかとおもうときがあります。イメージが湧きまくるからです。 でも、詳細に観察すると、湧きまくるイメージより以前にノーマインドフラットボディというのが在るのである。つまりイメージとは「アトからくる理解」なのです。
「イメージ信仰」と「イメージの創造」は違いがあります。「科学信仰」と「科学の創造」は同じではないように。」




♪ダンスナンバーで踊りつづけようくだらないことは沢山あるけど誰かが決めたステップなんて関係ないんだデタラメでいいよカッコ悪くたっていいよそんなこと問題じゃない君のこと笑うヤツは 豆腐にぶつかって死んじまえ

(ブルーハーツ、ダンスナンバー)