2 シンタイウォッチ

エックハルトトールという方がいます。瞑想とか悟りのことを伝えているかたみたいですね。

身心の風呂敷を広げて、中身をただただ観察する。たとえば「喜び」なら喜びと一体化してしまわず、「哀しみ」なら哀しみと一体化してしまわず、そこに喜び哀しみがあるのを感じもするが、感じていることを観ている自分があって、そのただ観ているだけの其れにも気付いているという意識。
その「観照者」は、眉間の奥のゼロポイントにいる。
人格キャラ的な意味での「クール」とは比べ物にならないクールさですから、自分がどうなろうが、一切かまいません。何の志向性もありません。観てるだけです、何もかも。ですけれど、ゼロ意識が人を無感情で無感動にさせるわけではありません。人として感動してようが思考していようがゼロ意識はゼロ意識のままです。

エックハルトさんはコレについて語る現代の第一人者みたいです。これはいわば頭の正中心である。そして、眉間のゼロポイントを揺るがさないのは、腹のゼロポイントである。



さて、私は今、ハートが苦しい。


つづく




1 シンタイウォーズ

昨晩。
うぅ、胸、苦しい… と思っていたそのとき。

私はスターウォーズは子供のとき一作目を劇場で観たことがあるだけで、最後のシーンしか覚えておらず、今も興味がありませんし、あの映画のことはほぼわかりません。ですが、いきなり、ダース・ベイダーと一緒にうじゃうじゃいる白いやつ、何てゆうんですかね?ショッカーっぽいキャラのやつら。あれがいきなり胸だか脳裏だかに出てきました。

昔、頭がテンパッてパニックになりそうになったとき、宇宙人が脳裏に出てきたこともあったのを思い出しましたが。で、まあとにかく、私はどうしたかというと、以前なら、心理分析をしたり、オカルト分析をしたりしていたでしょうが、昨日は、そうゆうのは役に立たないただの気休めだとかんじました。胸の苦しみを解消でき「そうな」行為や思考の全てが、気休めだとかんじました。気晴らしに遊ぶのも、ボディワークに没頭しようとすることすらもです。
気休めは、しても、しなくても、気休め以上のものではないのでした。
私は、「胸が苦しい」 以外に、やるべきことなど何もなかったのです。
意味づけや解消するための行為を、シンタイは求めておらなかったのです。シンタイはね。


つづく







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