肥田春充の「下体」の型動作には、
何の「タメ」も、
何の「ためらい」も、
「何かのため」も、
感じられない。


中国武術の「蓄ケイ」「発ケイ」みたいに、ねじ巻き時計の渦バネのような力学は働いていないようだ。そもそも、時間を刻んでいるのか?1回1回リセットして0時にしつづけてるようにしか見えない(笑)。


では肥田春充という針は、その針の動力源は、どんなものなのか。



日時計か。



砂時計でもある日時計か。



そしてしまいに、彼は、時をうつすことも、時にうつろうことも、なくなりましたとさ。