あっぱれ正中心三宅先生の記事とシンクロしているじゃないの(笑)。で、あの記事を読んだら、書き忘れていたことを思い出したので追記する。


医学的には、大人になると胸腺は小さくなり何の機能も無くなる、とされています。胸腺の役割は成人するまでの免疫系に関わるものらしいが、虐待を受けた子供の胸腺は著しく萎縮しているそうである。虐待死の疑いがある子は、司法解剖で胸腺の萎縮具合を見て、虐待があったかどうかの目安にもするらしい。

私はおもう。たとえば古代のインディアンやアイヌとかの大人の胸腺も無機能になっていたのだろうか?と。あるいは岡本太郎とか山下清はどうなんだ。
あるいは、肥田春充は聖中心の境地に達しながらも逆に世の中は戦争真っ只中であるというギャップに苦しみ、ハラを斬って死のうとしたらしいが、その胸の痛みとは、なんなんだ。

スピリチャルでは、脳の松果腺の機能が覚醒すると超能力が得られるといいますが、胸腺にも同じようなことがいえると私はおもう。超能力ではなく、真心の覚醒である。
ひそやかに虐待を受けて傷ついたままの大人がまた誰かを傷付け、そしてまたそんな虐待をする自分に傷付き 、傷付け、傷付き、傷付けあう。
ハートはその現実に耐えられないから、感度を落とす。やがて感度を落としたことも忘れてゆく。
肺や心臓などの命に直結する器官は肋骨に鳥籠の中の鳥のようにガードされています。しかしそれは過ぎれば牢獄の檻のようにもなる。


真心とはまず他人を思いやる気持ち「ではない」。とおもう。
私は、ちぶる整体を通して、癒されていった人を見たり自分を観たりして、それを骨身に染みて知った。


♪カッコイイかは
わからないけど
おさえきれない 夢をみたんだ
作戦立てて ジッと待つより
子供のままで ぶつかってゆく

宇宙の果てに旗を立てたとしても
宇宙の謎は わからないまま

偉くもないし 立派でもない わかってるのは 胸のドキドキ

答えでもない 本当でもない 信じてるのは 胸のドキドキ

胸のドキドキだけ


(THEハイロウズ 胸がドキドキ)


つづく