この写真を撮った頃は、この「運動をやってる感」は今よりもいくらかはあったようにおもう。
今はここで「立っている」だけでしかなく、むしろ地面に立つよりもラクな気すらする。
地面に立つほうが、「ブレる自由」は、ある。ブレる自由それはしかし相対的自由である。
絶対自由はそんな「ベター」「ベスト」じゃなく、

「ジャスト」「シフト」である。

ちぶる整体を東京でやってた頃に散歩していたある日、後ろからチビッ子が不動のまま無音でスーーーーと私の横を通り過ぎました。一瞬、どこの星の生物かとおもいました(笑)が、その女児の足下を見ると、スケボーみたいな形の前後一輪ずつしかないやつ(名前わからん)に乗ってました。私はその乗り物にも興味を持ちはしましたが、チビッ子の姿が脳裡に焼き付いたのでした。足腰がどういう姿勢を取っていたかなどという分析などはしてません。だってただ突っ立ってただけだもの。しかしその存在の印象はハッキリとある。私と私の身体は、道具なしであのチビッ子のようになりたいと本気で思ったのでした。スターに会ったような気分でしたから(笑)。


ボディワークにおいて観る場合のスポーツ選手の超絶技巧は、たしかにすごく参考になることがあるのだけれど、特別な練習をしつづけない限り不可能なワザ、チカラ(ピークパワー)には、シンタイコウ的な興味は自然と起こらない。
バレエのギエムとか野球のイチローの魅力には、技巧とはまた別のものが確実にある。


ウルトラマンも、猫背をやめれば3分以上地球に居られるのではないか(笑)。