先端的医科学の物言いでは、「人体の中に遺伝子がある」のではなく「遺伝子が継続して生存する為に人体を使う」んだそうで。詳しい事は面倒臭いので調べる気になれませんが、直感的には得心がいきます。

東洋的ボディワークとか修業とかね、スピリチャリズム(宙ぶらりんなマインディズムではないよ)、あるいは自由を追究する奴、求道者なんてのはね、生き延びようとする遺伝子クンからすれば、とんだ反逆者ですよ。外道です。クズです。健康や幸福を望んで取り組むだけなら別ですけれども。


いわゆるクンダリニー病とか禅病、偏差、神ダーリなんてのも、「遺伝子の抵抗」なのかもしれませんね。
けれども、上記のような生き方は、決して、遺伝子と戦争することがその本来の目的ではないのであります。

遺伝子、カルマ、思考、リキミ。これらは全部同じものです。「遅くあるもの」 です。反応です。 反応に反応しているのがループライフ。輪廻といわれてるものだと思います。 遺伝子を存続させる(てゆうか遺伝子に使われる)為に生きることが普通の人生です。それをぶっちぎろうとする人というのは、それぞれに理由があるかと思います。そうせざるを得ないという、選択の余地などない理由です。

いえいえ、ただし。遺伝子はぶっちぎるとか否定するためのものではありません。それは 遅くあるもの、です。