凡人ってのを、定義しなければならないとしたら、「自分を凡人だと定義した人」ではないかと思う。

プロのアスリートやサーファーの筋肉は弾力がハンパないし、私が今まで触った経験、感触の記憶からしても、そこに凡と秀の一線を引くことは出来ますけれども、それは「凡筋、秀筋」であり、「人」に引く線ではありません。

なぜだか整体をしているときの私は、不調でやってきたその人の不調具合だけでなく、チカラを感じます。そのチカラ自体には凡も秀もありません。それが起きているか眠っているか的な差はありますが。

人は何らかの定義を自分で自分に押し付けているみたいなのです。その定義が的外れではない人も的外れな人もいますし、自分を高めてくれる定義づけで自分をリードしていくという上手いやり方をする人もいることでしょう。

で、ちぶる整体的には何をしているかというと、上手な自己定義のコーチングではなく、霊視によって定義を複雑肥大化させるでもなく、不必要な定義の解体です。「ちぶる解体」に改名してもかまへんのちゃうの。そのあとは御自由に御自在に。定義はあってもなくても、決めつけなくてもよい。

肉体的には皮膚や筋膜などの話にもなりますが、なにせ抽象的な文ばかり書きたくなるのでね、またいつか書くね。や、書かないかもね。