前記事で青写真という言葉を使いました。過去記事で、プログラムという言葉をよく使ったと思います。青写真とプログラムの違いは。

まず、中心力を、姿勢や呼吸でなく、時間であらわしてみましょう。 リキミにはタイムラグが生じます。リキミで力を出すには、一瞬の「タメ」を必要とします。つまり時間がかかります。 思考は時間の産物です。思考からの動作はタイムロスが生じます。リキミの力が強大だろうが高速思考をしようが、遅さを逃れることはできません。プラス思考やインパクトの瞬間に結局リキミを込めるような動作は、ゼロ時間すなわち中心力ではありません。アドレナリンはリキミ物資です。闘争も逃走もしないのが脱力です。「それでは死だ」と思うのは、プログラムによる反応です。


プログラムとは、反応、反射的な行為です。何かに対して何かをする機械的な動作です。いいものであれ悪いものであれ、タイムラグがあります。どんなにか速い反応であったとしても、反応である以上は、ゼロ時間ではない。遅さを逃れることはできない。で、何かに反応していなければ、活きていません。プログラムと自分が同化していると、始終何かに反応していないといられなくなる。

青写真は、時間によって動するものでない。速さも遅さもなく、生も死も陰も陽も可も不可も不足も満足もない。中心と非中心も、ない。ないということも、ない。