体は、バイブレーションを発しています。それは鼓動や脈動よりも細かいものです。何らかのボディワークやメンタルトレーニングで獲得するものではありません。生きている人全てに与えられているものです。いや、それが命でありそれが私達と言った方が適切かもしれません。

「思考」はキメが粗いので、思考で自分をコントロールすることは、繊細な命のバイブを拘束することにもなりかねません。キメの粗い感性では、細かな細かな波動をとらえることは出来ません。
感性の生みの親は感性よりも細かい波動だからです。

今私が知覚しているよりもずっと精妙なバイブレーションが、どこからか、どこまでも、発せられているような気がします。それは「私」というくくりが些細でキメの粗い「出来事」のように思えるほどの緻密極まりないものなのでしょう。