タイトル「人を眠らせるもの」で書いた、ファーストプログラムよりも根源にある、私達ほぼ全員共通の、と言っていいほどのファーストファーストプログラムがあります。それは、

「何もしなければ何も得られない」。

それはそうでしょう。しかしカラクリがあります。得られないことが不安 になると、何もしないことが恐怖になります。
そこから労働、思索、はたまた自分探し、とにかく何でもします。

何もしないことで、生まれてくるものがあります。それは何もしないことでしか生まれません。何かをしながらでは、それを知ることも出来ません。何かをしてるのですから、生まれません。それは生まれるものであり、得るものではありません。
何もしない、とは呼吸を止めたり欲求を抑えたりすることではありません。それだと「呼吸を止める」「禁欲」を「している」ことになります。座禅や瞑想も然り。

睡眠は「何もしない」に近い状態ですが、ファーストプログラムとファーストファーストプログラムはリセットされません。稼動しない、にとどまります。

本当は何もしてない瞬間は誰しもあるのですが、完璧に無視してしまうのです。「何も得られない」から。それは「死」に等しいと。

何かをすることすら、何もしないところから生まれているのです。何かをすることで得られるものは、生まれゆくものの一部に過ぎません。何もしなければ全部あるのです。そして無いのです。

アナタがしている事は、アナタの全てではないのです。正しいことでも間違っていることでもないのです。全てではない。 そんだけ。