寝ている時に訪れる、「研ぎ澄まされたリラックス」の記述。

この時は睡眠状態ではないので、浅い眠りでいい夢を見ている訳ではありません。寝入りばなや寝起き前の「まどろみ」の気持ち良さとも違っていて、意識は超ハッキリしています。それは通常の活動時より濁りのないものです。寝ている時に訪れ易いのは外からの刺激に反応しなくて済む環境、時間、空間でいられているからだと思います。
外からの雑音だけじゃなく自己からの雑音にも惑わされません。昨日の記事にも少し書きましたが、「自分は何をすべきか」 などと考えることがないのです。すべき事なんて何もありゃしない。

通常、人は意識的にも無意識的にも、崇高なものであれ俗なものであれ、「何かをする」ことに駆られて何かをしています。何かをする(または思う)ことで何かを感じ、そしてまた「そこ」から何かをし…と続きます。最初に何かをした(思った)ところからどんどんはぐれていきます。「何か」に対して「何か」をし続けます。その行為が楽しければ問題ないのかも知れませんが…。
それが楽しくない人、それが人間の当たり前の営みだとは思えない人だけ、ここから先お読み下さい。

考えちゃいけない、何もしちゃいけないって訳じゃありません。考えや行為が生まれる処からはぐれて、考え(行為)から考え(行為)を生むから、問題が終わらなくなるのです。金が欲しくて幸せが欲しくて悟りが欲しくて行為し続けるのです。私の事です(笑)。

カルマとかいうのは「負債」じゃねえだろ。功徳を積んで返済していく算盤勘定な訳ねえじゃんか。 考え(行為)から考え(行為)をする事で付随してくるただのノイズじゃろが。