ロコモーション



30代の頃に私は、格闘技や武道やボディビルをやっているガタイのいい人に出会うと、「腹を一発だけ思いっきり殴らせてもらえませんか?」とお願いしていました(笑)。

私自身はガリガリ君だったこともあり、自信のある人は殴らせてくれましたが、今おもうと私は一体何考えてたんだろう(笑)。殴る場所は下腹だし恰幅のいい人ばかりだし鍛えているみたいだしということで、遠慮なく思いきりパンチしてました(後年に練習するようになった寸突きではなくフツーにストロークのあるパンチ)。 もちろん倒せません。ですが、翌日によくクレームの連絡が来ました。「痛くて動けないんだけど」とか「腹が紫色になってんだけど」とか。そりゃそうだろうよ、いくらガリガリ君とはいえ思いきりぶん殴ってんだから(笑)

また逆に、このブログを見て整体を受けにきたお客さんで、「寸突きを打ってみて欲しい」と言う方が何名かいましたが、まともにやったことはありません。なんか、できないのです。
実は過去に寸突きを人に打ったことが1度だけあります。打たれた人はその場に倒れて動けなくなってしまいました。それ以来、人には本気で打つことが出来ないような心理が働くようになったのかもしれません。よく加減をしてイイアンバイに打ってみせられればいいのかもしれませんが、そこまでコントローラブルにするには本格的武術的に日々訓練しないとできなさそうだし、まあよーするに、たいしたことが出来ているわけではないのです。活法の役に立ちそうな殺法動作をかじっているだけで。
ちなみに私は、一般的腕っぷしは相当弱いほうだとおもいます。

そして余談ですが。
フツーの人の腹とは違い、鍛えてカっチカチの人の腹ともまったく違う、異次元の腹の持ち主を私は一人知っています。中心練修会の三宅先生です(笑) あの腹は、逆に、思いきり殴ろうとは決して思えません。なぜならコッチの手がブっ壊れそうな感じがするからである(笑)。だって軽く叩いただけでも手首を捻挫しそうな反発力があるんだよ(笑)。


前置きが相当長くなってしまいました。本題は次回にしようか…


次回予定
「歩禅と歩突き」








シンモーション



昨日の朝方、(やけにいい感じでスワイショウやってんなぁ俺)とおもったら、睡眠中に地震で揺られていただけでした(笑)。


さて前記事の、あしたのジョー を否定するかのような記事を今回は書きます。

エモーション(情動)は、決して中心力にはならない。身体軸がやや前面に行きがちになり、重心を上げるからです。そしてなにより情動の力は強いものであるが一時的である。継続的であったとしても、それはどこまでいっても「部分力」である。もっというなら、情動力は「中毒性」のチカラである。


あしたのジョー ではまた、「野性の力」的なものが肯定的に描かれますけれども、これもまた中心力とはいえない。

私はあしたのジョーは嫌いじゃない。好きです。でもそれとこれ(シンタイコウ)は別の話であります。テレビドラマなんかは典型的な例ですが、大抵は人間のエモーションが描かれてストーリーを紡ぐ。つまりは情動が全面的に肯定される。私だって否定はしないし、情動に呑まれることがあります。けれども、中心力と情動力は一切関係がない。

シンタイコウで云うところのハート(中丹田)のチカラとは、エモーショナルなチカラのことではありません。


また、バシャールの云う「ワクワク」というのもきっと本来は情動的にワクワクしようなどと伝えているわけではないとおもいます。心理的な興奮ではないのです。


次回予定
「♪僕のシンシンシン世から僕は僕を探しはじめたよ そのぶきっちょな生き方をめがけて やってきたんだよ
なんていうRADWIMPS的な話。」






カンワジョーダイ



♪サンド バッグに 浮かんで 消へへる

(あしたのジョー)


なんか急に、あしたのジョーについて書きたくなりました。以下、実在するセリフと違うとおもうけど、私の記憶中の登場人物を蘇らせたいとおもいます


「ジョー兄ちゃん、いかないでよぅ!」 サチ

「ふぇっ、ふえっふえっ」丹下段平

「ねじりん棒でも食わしたれ」 マンモス西

「矢吹くん…」
乾物屋のノリちゃん

キーッキーッ!(#`皿´)
ハリマオ

「おわった…なにもかも」 力石徹

「矢吹さん。さすがですぜ」 ゴロマキ権藤

「アタイのジョー兄ちゃん!」 サチ

ウッキーッ!(#`皿´) ハリマオ

「矢吹くん、行かないで!好きなのよ!」 白木葉子

「ゲフッ…ウッウッ(涙)」鼻からうどん野郎てゆうか減量に失敗したマンモス西

「ジョーヤブキ…廃人ニナッタリ死ンダリスルコトガ怖クナイノカ?」
ホセ メンドーサ

「♪カイマナヒイい〜ラと来たもんだ」
ジョー

「満腹ボクサー。チョムチョムを食らうがいい」
金龍飛

「俺は食えなかったんじゃねえ。食わなかったんだ!」 ジョー

「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてんだ!」 青島

「ジョー!」丹下段平

「ジョーヤブキが死ンデモ悲シムヒトハイナイトイウノカ?」 ホセメンドーサ

「矢吹くん!」白木葉子

「燃え尽きたよ…真っ白に」 ジョー


登場人物の多くは、最初、クズとかチンピラとかゲスとか高慢チキとか冷酷人間みたいに出てくるんですよね。もちろん主役のジョーも。それが段々、意外と人情味のある奴等になっていくんだよな。


瓶のラムネが飲みてえな。










カンキョ


あれからまた一転、こんどは頭の奥深くの痛みによってまともに動けなくなった、のだが、またまた一転、今朝は、「自分は生まれてこのかた、ほんとうの鼻呼吸をしていなかったのかしらん?と感じるほど、鼻腔がスコンと抜けて、上丹田が覚醒したかのような感覚がある。「今まではずっと眠っていた、今は覚めている」という感じが非常にする。

ボディワークに傾倒しているからか、うっすら感じるサイキック力の気配よりも、シンタイ全体のチカラの変化に意識がいく。鼻腔ー鼠径部ー脚へと、しっかりとした「副中芯」が通っているのである。強い氣の竹馬でビッタリと直立、動作するようなかんじである。このシンタイからすると今までの氣感などは、たんなる白昼夢みたいなものでしかない。


異常な気候の影響で変調を繰り返しているだけなのだろうかと思ったりもしますが、気候はワタシである。環境のせいか自分のワークかなどという区別をすることに意味はないのです。


これからまた好調不調が二転三転して何がどうなるかはよくわかりませんけど。





チンキョ



前記事に書いた連休中の猛烈な腎虚から一転、シンタイコウが捗る捗る。ギンギンである。やっぱし中心姿勢はフルボッキチンコと瓜二つだなや。このまま宇宙に挿入したい。

肥田春充の横からの姿勢の写真と、窓に映した自分の横からの姿勢を比べる。マグナムホクティ(わかる人は今や少数か)な春充に比べ、大分貧相な私の身体。だがどうだ、腰腹のウネリは中々のものであるぞ。もちろん中身の海綿体もといインナーユニットも膨張している。30年前のセフレ、サリーの言葉を借りていうなら「すごーい!ビゴンビゴンじゃないよぅ!」である。

では私も正中心力が身についたのか? いや、ついてはいないだろう。しかし何をもって正中心力と定義するのかよくわからん。分厚い杉板を踏み抜くとかか?

私は正(聖)中心力とは「無限の力」のことだろうと思っている。無限の力とは何なのか、頭で定義しようとは思わない。無限の力が身心を貫いたときはじめてそれがわかることでしょう。フルボッキ感は、無限の力とはちがう。私は未だ、チェリーボーイなのだ。


中芯ですかーっ!
中芯があれば何でもできる。いぐぞーっ!

イーチ!
ニー!
サーン!
シンタイコウダーっ!






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