姿勢をきめるとき、骨盤がグルン!と反転するかのような身体内部の力感があります。陰陽図が腰腹で半回転するような。

身体外部の操作で、たとえば「腰を反って」これをおこなうことは、私にはできません。順番が逆なのです。内部が回るから腰が反れるのである。尾骨が盛り上がるから腰が入るのであり、腹が落ちるから尾骨が盛り上がるのであり、胸が開かれるからそれらはそうなるのであり、遅い頭からはコントロールしないゆえにそれらはそうなるのです。


張り子の虎とか絵に描いた餅のように姿勢をつくってでも、そのようにしていればやがて中身が伴ってくるというパターンもあるかとおもいます。「ありがたやありがたや」とアファメーションしつづければ有り難いことを引き寄せるだとか、わざとでもいいから口角を上げていれば楽しくなってくるだとかっていうことと、同じことがありえるのでしょう。ですが私はそのような方法はあまり向いていない。太極拳も強健術もたしかに型稽古はしましたが、それは地図を見ているような作業に過ぎなかったかもしれません。

たしかな内部感覚がないからと、型稽古に没頭するやり方は、アリガタヤと何万回でも唱えるというようなやり方に似ているように感じてむしろ私には逆効果だったのです。「アリガタヤ」と唱える自分が奥底で「ウソだ」と感じてしまうのです。アリガタヤなんてサラッサラ思っていない自分が猛烈に反逆するのである(笑)。わざと口角を上げた瞬間、自分が邪悪な偽善者にしかおもえないのである(笑)。腰を反ったところで、随意でブウ!と腹に圧をかけたところで、「なんやこんなもん筋トレやないかい!アホくさ!」とおもってしまうのです(笑)。


たぶん、私は、強健も、幸せとかも、あまり求めていないんだとおもいます。望んでいるものはべつのところにあるのです。


つづく