昨日の朝方、(やけにいい感じでスワイショウやってんなぁ俺)とおもったら、睡眠中に地震で揺られていただけでした(笑)。


さて前記事の、あしたのジョー を否定するかのような記事を今回は書きます。

エモーション(情動)は、決して中心力にはならない。身体軸がやや前面に行きがちになり、重心を上げるからです。そしてなにより情動の力は強いものであるが一時的である。継続的であったとしても、それはどこまでいっても「部分力」である。もっというなら、情動力は「中毒性」のチカラである。


あしたのジョー ではまた、「野性の力」的なものが肯定的に描かれますけれども、これもまた中心力とはいえない。

私はあしたのジョーは嫌いじゃない。好きです。でもそれとこれ(シンタイコウ)は別の話であります。テレビドラマなんかは典型的な例ですが、大抵は人間のエモーションが描かれてストーリーを紡ぐ。つまりは情動が全面的に肯定される。私だって否定はしないし、情動に呑まれることがあります。けれども、中心力と情動力は一切関係がない。

シンタイコウで云うところのハート(中丹田)のチカラとは、エモーショナルなチカラのことではありません。


また、バシャールの云う「ワクワク」というのもきっと本来は情動的にワクワクしようなどと伝えているわけではないとおもいます。心理的な興奮ではないのです。


次回予定
「♪僕のシンシンシン世から僕は僕を探しはじめたよ そのぶきっちょな生き方をめがけて やってきたんだよ
なんていうRADWIMPS的な話。」