いわゆるアイソメトリクス運動は、筋肉を鍛えようとする意志によって筋肉を鍛えている。そこには努力とか克己心といったような『ガソリン』が必要です。
強健術が、アイソメトリクスや自重トレと決定的にちがうのは、中心力という名の『フリーエネルギー』を動力としているところです。

フリーエネルギーは現実社会では未だお目見えしていないし、スピリチャル系の人が言いがちなおとぎ話の域を出ていません。私も詳しいことはよくわかりません。
が、ボディワークで確信をもっていえることはあります。


整体や指圧で、人の体を押すとき、『体重を乗せる』と教わります。素人がプロの技術を身につけようとするときの初歩的な指南としては間違いではないでしょうけれども、私はそのようには行わない。
格闘技は、体重の重いほうが絶対的に有利なのでしょう。重力や遠心力に乗ったパンチを浴びせあうから。
だが、私は整体術で、かぎりなく強い突き(点押し)をしようとするとき、注射針を刺すかのような細いチカラを使います。そのとき私のウエイトの重さ軽さがそのチカラの上限を左右するわけではありません。自重もアイソメトリクスも放棄します。
また、『治してあげよう』などという意志なども放棄するのですが、話が広がりすぎますので今回は体運動の話にとどめます。

肥田式強健術の『下体より』は、たしかに体と鉄棒の重みを利用してはいるでしょう。が、肝心要のフリーエネルギーが欠落した運動ではない(肥田春充の動作はね)。
私は、体重も重量物も使わず、それ相当の運動が可能な動作を発明しました。重力や遠心力に『逃げた』運動に陥ることを徹底的に排除しました。
重力や遠心力を否定して使わないということではありません。それは使われるべくして使われる。が、それは主動力ではないのです。それを生み出すチカラのミナモトにまで還るのです。



つづく